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誰よりも、三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ??野口 英世


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当事者主権

書誌

author中西正司、上野千鶴子
publisher岩波新書
year2003
price700+tax
isbn4-00-430860-7

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2016.8.25読了
2016.12.2公開

今年読んだ本では一番の白眉かもしれない、非情に読み応えがありためになる本。障害者、高齢者をマイノリティとしての介護される側としてだけ捉えるのではなく、当事者が自分たちで自分たちの世話をして、その質をより高め、更には事業としても成立させようという――物事の見方を変えるだけでこれだけ世界が違って見える――ということを如実に示した一冊である。

本書が非常に優れているのは、実際にその内容が自立生活運動を通じて培われたものであること、特に行政(役人)の論理を実績から覆していく部分に説得力があること、そしてそれを通じて現在の日本の民主主義に大きく欠けているのがこの当事者性ではないのかという厳しい問いを読者にも付き付ける内容となっているためである。

正直にいうと本書は上野千鶴子の名前だけで買ったのであるが、もっと多くの人にぜひとも読んでもらいたい本である。自戒を込めて宣伝しておく。

抄録

2-3 cf.3

当事者とはだれか ? 当事者主権とは何か ?

ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザーのことである。だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。

当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるのではなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。

ところで「当事者主権」とは、聞き慣れないことばだろう。このところ、当事者主義とか当事者本位という言い方が登場しているが、そういう標語が向かおうとしている方向と、本書は志を共にしている。だが、ここであえて、耳慣れない「当事者主権」ということばを打ち出したのも、当事者主義では、いろいろある主義主張のひとつ、それも偏った少数派の意見ととられがちだし、また当時者本位という言い方では、またしても「あなたがほんとうに必要なものを私たちが提供してあげましょう」というバターナリズム(温情的庇護主義)にからめとられてしまう危険性があるからだ。

当事者主権は、何よりも人格の尊厳にもとづいている。主権とは自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、すなわち自己決定権をさす。私のこの権利は、誰にも譲ることができないし、誰からも侵されない、とする立場が「当事者主権」である。

4

当事者主権の要求、「私のことは私が決める」というもっとも基本的なことを、社会的な弱者と言われる人々は奪われてきた。-/-

5-6

私たちがあえて、当事者主権ということばを選ぶのは、何よりも受け身の「お客様」扱いに対する抵抗からである。サービスの主人公は、それを提供する側ではなく、それを受けとる側にある、という考え方は、生産優位から消費優位への市場の構造の転換と対応しているが、同時に「利用者本位」「お客様本位」というフレーズが、「お客様」のどのような無理難題にも応じなさいという、サービス労働者の搾取に結びついてきたことも、考慮しなければならない。当事者主権とは、サービスという資源をめぐって、受け手と送り手のあいだの新しい相互関係を切りひらく概念でもある。

6

私たちがこの本で言う「当事者主権」の考え方を、鮮明にうちだしたのが、障害者自立生活活動であった。この本は、その運動の達成から生まれている。

7-8 cf.30

自立生活活動が生んだ「自立」の概念は、それまでの近代個人主義的な「自立」の考え方――だれにも迷惑をかけずに、ひとりで生きていくこと――に、大きなパラダイム転換をもたらした。

ふつう私たちは「自立」というと、他人の世話にならずに単独で生きていくことを想定する。だがそのような自立は幻想にすぎない。どの人も自分以外の他人によってニーズを満たしてもらわなければ、生きていくことができない。社会は自立した個人の集まりから成り立っているように見えて、その実、相互依存する人々の集まりから成り立っている。人生の最初も、最期にも、人と人が支え合い、お互いに必要を満たしあって生きるのはあたりまえのことであり、だれかから助けを受けたからといって、そのことで自分の主権を侵される理由にはならない。

人々が相互依存して生きている社会で、他人の助けを得ないことが、なぜ理想とされるのか。だれからも助けを得ない人は、豊かな人生をおくっているとはいえない。生涯を持った人が、必要な助けを必要なだけ得られる社会は、どんな人も安心して生きていける社会だ。それは、障碍の有無にかかわらず、私が私の人生の主人公であることを貫くためである。障害者運動から生まれた「自立」の概念は、非障害者を標準にできあがった、それまでの「自立」観を、大きく変えた。

8

高齢者に限らず、だれでもニーズを他人に満たしてもらいながら自立生活を送っている。そう考えれば、恒例の要介護者や障害者の「自立生活」は、ちっともふしぎなものではない。最期まで自立して生きる。そのために他人の手を借りる。それが恥ではなく権利である社会をつくるために、障害者の当事者団体が果たしてきた役割は大きい。

9

私たちは当事者を「ニーズを持った人々」と定義し、「問題をかかえた人々」とは呼ばなかった。というのも何が「問題」になるかは、社会のあり方によって変わるからである。

誰でもはじめから「当事者である」わけではない。この世の中では、現在の社会のしくみに合わないために「問題をかかえた」人々が「当事者になる」。社会のしくみやルールが変われば、いま問題であることも問題でなくなる可能性があるから、問題は「ある」のではなく、「つくられる」。そう考えると、「問題をかかえた」人々とは、「問題をかかえさせられた」人々である、と言いかえてもよい。

10

それなら「障害者」に「問題」や「障害」を抱えこませた原因は、社会のしくみの側にあるのだから、それを補填する責任が社会の側にあって当然だろう。そのように社会の設計を変えるということは、「障害」を持った(持たされた)人がハンディを感じずにすむだけでなく、障害のない(と見なされる)人々にとっても、住みやすい社会となるはずだ。

11

「職業と家庭の両立はむずかしい」と言う代わりに、「どのような条件のもとで、だれにとって、職業と家庭の両立はむずかしいのか」と、問いを立て替えてみよう。同じことをうらがえして、「どのような条件ものとでなら、女性にとっても男性にとっても、育児が職業継続の障害とならないですむか」と、問いを立てることもできる。そうすることによって、社会の設計のうえで「ユニバーサル・デザイン」を構想することができるだろう。そういう社会は、男にとっても、女にとっても、ひとり親にとっても、子育てがハンディにならずにすむ社会のはずだ。

当事者主権とは、こういうパラダイム転換からもたらされた。この社会で、「お客様」であり、「厄介者」であり、「お荷物」であるとは、どういうことだろう。超高齢化社会のなかで、だれもがいつかは「障害者」となり、ハンディを抱えこむことが予想されるとき、人生のうちで依存する者もおらず、人に依存する必要もない一時期にだけ合わせてつくられた社会のしくみを、根本的に考え直す時期が来ている。

12

いまや、専門家よりも当事者が、自分自身のことを一番よく知っている、自分の状態や治療に対する判断を専門家という名の第三者に任せないで、自己決定権をとりもどそう、という動きが、あらゆる分野で起きてきている。これを「当事者の時代」と呼ぼう。さまざまな分野で社会的な弱者や少数者と呼ばれる人々が、「当事者」の名のもとに、同じような動きを見せ始めたのである。

13

専門家とはだれか。専門家とは、当事者に代わって、当事者よりも本人の状態や利益について、より適切な判断を下すことができると考えられている第三者のことである。そのために専門家には、ふつうの人にはない権威や資格が与えられている。そういう専門家が「あなたのことは、あなた以上に私が知っています。あなたにとって、何がいちばんいいかを、私が代わって判断してあげましょう」という態度をとることを、バターナリズム(温情的庇護主義)と呼んできた。-/-

15

-/-だが、一人ひとりの当事者が、専門家主義と対抗するのはむずかしい。当事者が、その多様性にもかかわらず、連帯する必要があるのは、このためでもある。当事者の時代は、当事者が連帯することによってつくりだされた。

15/16

医者に医学という専門知があるなら、患者に患者学という当事者の知があってもい。-/-

専門知としてのこれまでの学問と当事者学との、もっとも大きな違いは、非当事者が当事者を「客体」としてあれこれ「客観的」に論じるのではなく、当事者自身がみずからの経験を言語化し、理論化して、社会改革のための「武器」にきたえあげていく、という実践性にある。

16-17

-/-考えてみれば、女や子ども、高齢者や障害者、性的少数者や患者などの社会的弱者とは、「自己決定権」を奪われてきた存在だった。その人たちが自分自身について語る言葉は、聞く値うちのない言葉として、専門家から耳を傾けてもらえなかったのである。

専門家は「客観性」の名において、当事者の「主観性」を否定してきた。当事者学があきらかにするのは、当事者でなくてはわからないこと、当事者だからこそわかることがある、という主観的な立場の主張である。したがって当事者主権とは、社会的弱者の自己定義権と自己決定権とを、第三者に決してゆだねない、という宣言でもある。

専門家が「客観性」の名においてやってきたことに対する批判が、ここにはある。というのも「客観性」や「中立性」の名のもとで、専門家は、現在ある支配的な秩序を維持することに貢献してきたからである。むしろ当事者学は、あなたはどの立場に立つのか、という問いを聞く人につきつけると言ってよい。社会的弱者にとっては、あなたが「何もしないこと」――不作為に罪――が、差別の加害者に加担する結果になるように、当事者学は、実のところ、どんな差別問題にも、非当事者はどこにもいない、ということをも明らかにしてきた。なぜなら、差別を受ける者が当事者なら、他方で差別をつくるものも、うらがえしの意味で差別の当事者だからである。

18 cf.108

-/-民主主義が多数決原理に拠っている限りは、人口の約三%と言われる障害者は決して多数派になれず、「最大多数の最大幸福」のために排除され抑圧される運命にある。また、当事者主権の考え方は、第三者や専門家に自分の利益やニーズを代弁してもらうことを拒絶する。だれかを代弁することも、だれにか代弁されることも拒否し、私のことは私が決める、という立場が当事者主権だから、代表制の民主主義にはなじまない。

そのためには「最大多数の最大幸福」を基準とするような「公共性」の理念を組み替えなければならない。公共性は、少数者の犠牲のもとに成り立ってはならない。-/-

19

-/-それと同じように、もっとも大きいニーズを持った者、「最後のひとり」に合わせて制度設計すれば、他の人々にとっても生きやすくなる。その反対に、現実の社会は、「平均」や「標準」に合わせて設計されている。実際には、「平均」や「標準」に合う人などどこにもいないから、ほとんどの人は「平均」や「標準」と自分をくらべてストレスに苦しむことになる。

制度がユニバーサル(普遍)であるとは、例外がひとりもない、という意味である。当事者主権とは、あなたがたのいう普遍は、私ひとりがそれにあてはまらないことで挫折する、と宣言できる権利のことである。制度設計の基準を、平均にではなく「最後のひとり」に合わせる。そのためには多数決を絶対視しない。そいういう合意形成を可能にするような、ラディカルな民主主義をめざしたい。

22-23

彼ら?彼女ら(施設に閉じ込められた重度障害者:唯野注)は社会のなかで生活し、経験をつんで成長していくことを「危険を冒す権利」として訴え、みずからの人生の主権者であり、自己決定と自己選択によってこれからは生きていくのだと宣言した。これが自立生活運動である。

23

障害をもたないものも、この自立生活運動から学ぶことは多い。はたしてどれだけの人が、障害者のように、みずからの人生の主権者として自己選択と自己決定にもとづいて生きているのだろうか。企業組織で働く時、欠陥品を販売していると気づいた時、自分の地位をかけて人生の主権者たりうるだろうか。いま日本社会が一番必要としているのは、一人ひとりの個人が、みずからの人生の責任ある当事者として生きることではなかろうか。

24-25

ここで障害者当事者が「われら自身の声」をあげ始める端緒をつくったのは、一九七二年にアメリカで始まった自立生活運動であった。

一九七〇年、アメリカで、カリフォルニア大学バークレー校の学生であったエド・バーツは、学内に介助サービス、車椅子用学生寮、車椅子修理サービス、障害者へのピアカウンセリングなどを提供し、障害者支援を始めていた。七二年、大学を卒業するにあたり、地元のバークレー市で同じようなサービスを作りたいと考え、彼は、友人に呼びかけ、初の「自立生活センター」CIL(Center for Independent Living)を設立した。

障害者自身がサービスの受け手から担い手になり、福祉サービスを提供する歴史が、ここに始まった。

七〇年代にアメリカで生まれた自立生活運動は、二〇年をかけて世界中に拡がっていく。日本でも同じ七〇年代に脳性まひ者の権利擁護運動を萌芽として始まり、八〇年代には個人としての障害者が地域に自立生活する運動と、サービス事業者および運動組織としての自立生活センターの二つのサイドから障害者の自立生活が展開していった。

26

ここにはふたつの問題が潜在している。ひとつは、女が母親として生きにくい社会は、障害者が障害者として生きにくい社会と重なっているにもかかわらず、差別された当事者どうしが対立しあうという、不幸な構図が成立したことである。

もうひとつは、タオて社会的な弱者といえども、文脈によっては被害者から加害者になりうるということ、そしてこの点では親と子どもの利害はかならずしも一致しない、ということである。

27-28

一九七〇年、府中教育センターにおいて、障害者の人権侵害に対する抗議運動が起こった。-/-その結果として、施設の個室化と、地域で介助を受けて暮らすことのできる重度脳性麻痺患者介護人派遣事業(後の全身性障害者介護人派遣事業)ができた。

この東京都の制度を基盤として、同様のサービスを国の制度にしていくことを求める運動が始まった。-/-

そしてこれらの活動を担う団体では障害者自身が組織の運営を担っている。

29

自立生活とは、どんな重度の障害をもっていても、介助などの支援を得たうえで、自己選択、自己決定にもとづいて地域で生活することと定義できる。

ここでいう「介助」とは、当事者の主体性を尊重しおこ行なわれる、英語で言う personal assistance のことをさしており、高齢者や障害者を客体として保護や世話の対象とする介護 care という用語と区別している。

介助では主体はあくまでも当事者であるのに対し、介護では当事者は客体である。障害者自立運動では、当事者主権を強調するために、このふたつの用語を使いわけてきた(この本では、歴史的な慣用にしたがって、障害者については介助を、高齢者については介護を、以下、用語として使用する)。

30

日本において自立生活センターが発足したのは一九八六年、八王子市の「ヒューマンケア協会」の発足をもってである。

31

(海外の:唯野注)研修で学んだことは、介助サービスだけを提供すると利用者は依存的になる可能性があるので、自立生活プログラムを並行して提供する必要があること。その結果は「ここに来る前は、自分は何もできないと思っていたが、今は何でもやれるという気がする」という自立生活センターの四肢まひの職員の言葉にあらわれた。

33

ボランティアの介助に頼って生きていた障害者は、毎日ありがとう、ごめんなさい、すみませんと言いつづけてきた。このようにしても、三六五日の早朝七時からの介助者を毎晩電話をかけつづけて探し、心の休まることはなかった。せめてトイレ、入浴、寝返りなどの生活の基礎的な部分では、介助者と対等の関係になって、その日に生まれた負債をその日のうちに介助料というかたちで返済したい。そして、ありがとう、ごめんなさいと、何か自分が悪いことでもしたように暮らしたくはないという強い意向があった。

最初は、障害者からも反対の声があがった。なぜ、今まで無料でできていたボランティアの介助を、自立生活センターは有料制にしてしまうのかというものであった。しかし、予約していたボランティアが来ない朝、自立生活センターに介助を依頼することが多くなってくると、彼らの考えもしだいに変わってきた。最終的には有料制のほうが、確実に介助者が来るのでよい、というようになってきた。

34

障害者支援という福祉サービスの財源は税金から得るのが、自立の理念から言って適切であろう。国家の機能は富の再分配にあり、弱肉強食の世の中なら、国家の調節機能はいらない。だれでも、いつでも、障害を持ってニーズが発生したときに、それを満たしてもらう権利がある、という社会を私たちはめざしている。-/-

35

自立生活センターが提供している事業には、次のようなものがある。

当事者の自立支援のために、介助サービスや住宅サービス、移動サービスなどを提供することによって、全生涯にわたるあらゆるニーズに対応できるようなサービスを具えている。

また、障害者自身を「ピアカウンセラー」として育成し、自分たちの生活経験や知識を同じ障害をもつ仲間に伝えることによって、障害者をエンパワメント(当事者としての力をつけ自信を深めていく)し、地域で暮らす力をつけていくというシステムをもつ。ピアは「なかま」「同輩」という意味であり、ここでは助け、助けられる関係に上下関係が存在しないことがめざされている。

自立生活センターが提供する事業のうち、「ピアカウンセリング」は、もっとも基本的なサービスといえる。それは当事者が、自立の当事者、自己決定の当事者になるための重要なステップを支援するためのプロセスだからである。長いあいだ施設や在宅で保護と管理のもとにあった障害者は、失敗から学ぶ経験を奪われ、主体性を持たない子どもや患者のように扱われ、しだいに家族や職員に依存的になり、前向きにチャレンジして生きていく意欲を失っていく状態に陥っていた。

36

ピアカウンセリングの理論によると、障害をもってうまれた子どもも、それが「障害」であると第三者から指摘されるまでは、自分の状態のあるがままに受容し、世界は自分を愛し受け入れてくれていると感じている。その時は自分に限界はなく、なんでも可能と思える。しかし成長していくにしたがい、親からは「あなたは障害があるから、ふつうの人のように結婚はできない」とか、教師からは「ふつうの就職はできないから、特別な能力を磨きなさい」と言われ、障碍がマイナスのものだという意識を持たされていく。町に出れば、駅に階段があり、バスには車椅子では乗れないことを知る。大学に進学したい、結婚したいと言いだすと家族が困った顔をするのがわかるため、しだいに、自分の夢や希望を語らなくなる傾向がある。

このような時に、同じ経験をしてきて、障害が「問題」であるという考え方を克服しているピアカウンセラーが、「ここでは本当の自分を出しても誰も笑い者にはしない。ありのままの自分にかえってすべての前提を取り払って、なんでも可能だと考えたら、本当は何をしたいか。それが大学に行くことであれば、自立生活センターでそれが実現できるように、介助者を見つけ支援していこう」というように支えていく。

40

「自己決定のできないような重度障害者や植物人間と同じような人のことを自立生活センターはどう考えているのか」という質問をもらうことがある。そんな時には「基本的に誰でも自己決定はしているし、できる」ということを肝に銘じていなければならない、と答えることにしている。

41

これを見抜けないのは、周囲の人のコミュニケーションのとり方に問題がある。それを自己決定ができないとか、むずかしい障害者だとか、ひとくくりにして、自分自身の側にコミュニケーション能力がないことの言いわけにする人たちが、専門家や施設職員のなかにもいまだにいる。支援者や介助者は、障害者が自己決定できない場合があると言いたてる前に、「どこまで自分に当事者のメッセージを受けとる能力が育ってきたか」をつねに問うべきであろう。

42

重度の障害をもつ人が自立生活をするためには、場合によっては二四時間の介助サービスを必要とする。逆に言えば、二四時間の介助サービスが確保されれば、どんなに重度の障害を持っても、地域で自立して生きていける。障害者の自立生活運動は、それを実践し、立証してみせた。これから先の超高齢化社会では、この先駆的な例は、たいへん参考になる。

多くの高齢者や障害者は、必ずしも病院や施設にとどまる必要はないことがわかっているし、実際、二四時間の介護や介助を必要とする人の数も、心配するほど多くはない。むしろ不要な施設への投資や、医療費のムダ使いを考えれば、在宅で介助を受けながら自立生活をしていける高齢者や障害者が増えたほうが、社会にとっても当事者にとってものぞましいだろう。

43-44

このように、障害者団体は、政府および自治体相手に、強い交渉力を発揮してきた。この点でも障害者運動の政治力と政治的成果には、学ぶ点が多い。だが、それもたんなる利権団体としての政治的成果ではない。障害を持ったら、誰もが必要な支援を必要なだけ受けることができる、という理念のもとに、ハンディを背負っても安心して暮らせる社会を、という要求に、社会的な合意を形成してきた結果である。自立生活センターは、よそからは「できない」と思われてきた重度障害者の自立生活を、精度に先駆けて、つぎつぎに実績として積みあげてきた。この実践性が、製作的な説得力を持ったのである。

45-55/56-60

これまでの当事者運動が成し遂げた成果についての整理。またp56以降は現在での課題。

50

介護保険には利用制限がある。要介護度別の利用限度額が、最初から在宅支援のためには不十分な量に設定されていることは、周知の事実であった。高齢者の自立生活の支援といいながら、その実、家に家族介護者がいることは暗黙裡に前提とされていた。要介護者が最重度の高齢者を、単身世帯で生活支援するようには、現在の介護保険は設計されていない。

57

このことによって、ぴあカウンセラーの数は増えたが、その質の低下が危惧された。だが全国連絡協議会をつくっていたおかげで、自立生活センターと同じピアカウンセリング講座を、各地の支援センターが開催することができるようになってきた。

他方、ピアカウンセラーの養成研修システムをすでに確立しておいたおかげで、行政が養成研修講座を開く道が閉ざされ、臨床心理士などのカウンセリングの専門家がこの業界に入りこむのを防げたばかりか、生活支援事業という国の制度にする時にも、イニシヤヤティブを取れることにつながった。今後も、制度の拡大にともなう人材育成は大きな課題である。

60

制度の改革は、一進一退で進む。急速な改革には一時的な揺りもどしがともなう。経過を監視しながら、いち早く情報収集して対策を立て、行政と交渉する能力が、当事者団体には求められている。

62-63

一九九八年、介護保険法が成立。二年の準備期間をおいて二〇〇〇年四月から介護保険がスタートした。行政改革の財源確保、医療保険の財政破綻の糊塗という「不純な」動機からであったが、四〇歳以上の自治体住民すべてが毎月三〇〇〇円近くを支払うという実質増税にかかわらず、この法律が成立したのは、「介護はもはや家族だけの責任ではない」という国民的合意ができたことによる。これによって、私たちの社会は「介護の社会化」に向けて、画期的な一歩を踏み出した。

63

超高齢化社会のなかでは、人が五〇歳に達したときに両親が生存している可能性がきわめて高い。これは平均寿命五〇歳代の戦前には考えられなかったことである。しかもいくらぽっくり逝きたいと思っていても、死ぬ前に平均して半年、寝たきりの期間を過ごすことがわかっている。加齢による心身の衰えと介護の必要は、避けられない現実になった。

だが、重い介護負担は、家族のなかの、それも女性にしわよせされてきた。-/-

64-65

介護保険は、年とって介護が必要になったとき、六五歳以上の1号被保険者ならだれでも公的な介護サービスを、わずかな利用料負担で受けることができるという制度である。この制度は、高齢者福祉を、恩恵から権利へ、措置から契約へと変えた、と言われる。また、これまでの施設収容中心の高齢者介護を、在宅支援へとシフトしたことも、大きな変化であった。

一方で制度の不備も多く、障害者は除外されるなど運用上の問題点も指摘さ