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断片 (このサイトのどこかにあるもの)

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ??ニーチェ『善悪の彼岸』


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プリンシプルのない日本

書誌

author白洲次郎
publisher新潮文庫
year2006
price476+tax
isbn978-4-10-128871-0

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2016.2.7読了
2017.1.5.公開

著者は第二次大戦において日本の敗北を見越してさっさと疎開し、 戦後には吉田茂のブレーンとしてGHQとのやりとりをして、近年になり再評価されつつある人である。この本は、その白洲次郎の発言を集めたもので、遠慮をしないというか、確かに歯に衣を着せないというか、文が人を表すを地で行くという、そういう人となりのよく出た内容になっている。そういう意味ではうまく編集された本でもある。

GHQによる占領政策への批判にしても全く手を緩めない辺りは長い物には巻かれろの風潮の中では突出していたであろうし、自らも認めているように煙たがられた存在であったことも容易に想像できる。しかし、彼の真骨頂は例えばGHQによる占領を批判しつつも、それが「最悪中の最善であった」とし、戦後の憲法が与えられたものであったとしても、「いいものはいい」と認めるだけの度量があった点にある。単に反発や否定をするだけではなかったところに懐の大きさがあり、それが魅力ともなっているのだが、いかんせん遠慮を知らないという点で、もったいないというか、不器用というか、逆に人間のこういう部分は英国へ留学して教養を蓄えたとしても変えられないのだろうという気がしないでもない。

主旨に沿って文章を集めたものではないので内容も一箇所に留まるものではないが、上記の文章を始め読み応えのある本なので、むしろ昨今の政治家などと呼ばれているような人にこそ読んでもらいたい気になる本である。

然し、我が国の占領が米国による占領であったことは、最悪中の最善であったとははっきり言える。(cf.178)

新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的には何と言うのか知らないが政治の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。(cf.226)

抄録

13

新聞では次郎が(吉田:唯野注)首相の側近といわれ茶坊主などといわれるのに、僕はかねがね腹を立てている。それは贔屓で彼のために義憤を覚えているからではない。そういう人々が自分の無知と偏見をさらけ出しているからだ。彼が変り者とか、我が儘な無法者と非難されるならば、身から出た錆だと僕も思うが、吉田の爺さんの太鼓を叩いて、甘い汁が吸える男でないと僕は何十年もつき合って知っている。

p18までは今日出海(こん・ひでみ)による序文。

14-15

僕は度々書いたが、彼は戦前日米戦争が不可避だと予言していた。その時は蒋介石を相手にせずと日本が言っていた頃である。そして日本人の大部分が米国と戦うなどとは思ってもみぬ頃である。そして必ず日本が敗北し敗北の経験のない日本人は飽くまで抵抗して、東京は焼野原になるだろうともいった。

そこで彼は地の理を研究して現在の鴨川村に戦前の疎開を敢行したのである。敗け込むと食糧難に陥ることも彼の予見で、百姓になって人知れず食糧増産に心がけていた。

かかる彼を僕は非難し、攻撃したものだ。ところで僕は徴用されて戦線に追いやられている間に東京の我が家は全焼し、帰って来た時には、妻子は逗子の仮寓で、食うものもなく、B29におびえて暮らしていた。

次郎は逗子の家も焼かれるだろうからと、僕の一家を引きとるべく、納屋を改造して、戦争が済むまで、明けて待っていてくれた。

15

一クセも二クセもある怪物らしくいう人もあるが、クセなら誰にでもあることで、僕は彼を怪物と思ったことは一度もない。我が儘育ちで、好き嫌いが激しく、厭だと思うことをせずに暮らせただけに世間が狭い。世間の苦労を積んだ卑屈さは、微塵もないだけならいいが、子供の時分と少しも変らぬ我武者羅と非妥協性で、誰彼相手構わず立向う。利害関係がなければ痛快な男だが、あれで利害関係があったらたまるまいと思う。-/-

17

恐らくそんなツマラヌ処世法は彼には出来る筈がない。彼が有用であり、彼の言動が日本の政治経済外交に何等かの寄与が出来れば出来るほど誤解がとび出すに違いない。彼は誤解を解くような努力は一切しないし、また誤解されるような人物だ。政治家になるには性格が孤独すぎる。吉田の爺さんくらいの年になれば、変り者の政治家として有用なところだけが光って迎えられるかも知れぬが……。

23-24

この意味で不愉快なのは、日本でなんとか名のある人の家へ行くと、そこの子供が女中や運転手に威張り散らしていることだ。銀行の頭取だの、車長だの、大臣だのの子供が、親父の主宰する所に働いている大人に対する態度も実に言語道断だ。これは第一に親が悪いと思う。英国では会社の社長に給仕がお茶を持ってきたら、必ず「ありがとう」という。当り前のことだが気持が好い。日本でも子供に親がもっとこういうことを教えなければいけない。これが本当の民主教育というものだと、僕は思う。

27-28

家庭の電灯料は、一ヵ月二ヵ月払わなくても、何かの都合で払わないんだから、そのうちに払うから少し待っておるべきだ。-/-どうも今の電気会社は、電灯をつけてる家庭が一番大事なのだという感覚が足りない。尤もこのごろのように、殊更に公益事業公益事業と言う消費者の態度にも行過ぎたところがある。-/-

30

ところでこの国際感覚という問題だが、日本は北欧の人みたいに、地理的の条件に恵まれていないから、これを養成するにはやはり勉強するよりほかにしょうがない。意識的に、日本というものは、世界の国の一国であるということを考えるように教育することだ。-/-

31

日本の文士が殊更そういうことに陥る原因の一つは、日本の言葉だと思う。日本語というものは、僕はわからんけれども、彩があるとか、含みとか言って、ものを表現するのに、ヨーロッパ式にいうと、正確度というものを非常に欠いている。だから、いろんな含みのあるような表現をする。その表現に自分が先に酔っちゃうのだ。-/-

32-33

或る一つの政イエデオロギーというものを持ってる人と話をするとする。それが資本主義であろうが、社会主義であろうが、何でもいい。ところが個人的に話をしてるときの、その人の政治思想というものと、演説したり、物を書いたりするときとは違っているのだ。というのは、彼等にとってイデオロギーというものは単なる道具なのだ、自分じゃ思想だと思っている。だからはっきりいえば、彼等には思想がないのだ。その結果例えば論争が展開された場合に、その論争というのが、両方の人が持っているいわゆるイデオロギーから出た論争なのである。だからいつでも感情問題になって、喧嘩になってしまう。というのは、両方とも、あなたの思想はこうで、それを推していくとこうなるじゃないか、だからここで落ちつこう、ここまでは認めるがここまでは譲れないというような議論はあり得ない。両方で別のことをいい合っている。だから論争になれば、感情的な喧嘩のほか何もない。お互いに言いっ放しだもの。

51 cf.94

社会的に考えて見て一番重大なのは、その電気と開発地点の所謂地元の人々との関係であると思う。昔のコチコチ資本主義華やかりし時代の様に、発電所を建設して出来た電気はみんな大都会に持って行く。地元は先祖代々共に暮らして来た水を利用しておこした電気であるに拘らず何の恩恵にも浴さない。-/-

私の単純な社会正義感はこういう状態を見ると俄然反撥する。私は斯くの如きことは二度と繰り返してはならないと思う。もともと水利は国家の資源である。その資源を利用することによっては先ず地元の人々、その県の人々、その地方の人々がその恩恵に与るべしだと信じる。-/-

通産省設立後の彼は東北電力会長を務めている。

52-53 cf.101

電源開発が目下の最大急務であることは論を俟たないが、政府の方針か無方針かは知らないが、国家的に重要と思われる産業に見返資金其の他で援助をするのが、余りに八方美人的であると思う。これは役人の縄張り意識が重大なる原因をなしている結果だと思うが、現在の日本がおかれている経済状態から考えて、もっともっと集中主義をとるべしと思う。これは電気事業者としての我田引水論ではないが、先ず電源開発に集中すべしと叫びたい。

53-54

-/-成る程競技に出るからには勝つことが望ましい。然しオリムピックは飽く迄もアマチュアーのスポーツであって、その精神からかんがえるとこういうこと(出場選手を集めて指導訓練したことを指す:唯野注)はどうかと思う。又ある人の話によると、或る有力なる体協の役員が放言していたことだが、今回のオリムピックは金で出場人員が制限されているので、勝つ見込のない様な競技種目は選手を派遣しないとのこと。こういうスポーツが何であるかという根本問題を理解し得ないような人々は、体協なんかの役員を辞めるがよいと思う。一言にしていえば、アマとプロの相違ということをもっとはっきりと考えてもらいたい。

54

-/-この頃政治評論とかいうものを読むと、全部では勿論ないにしても大部分政治評論でなくて、政治感情論である。彼奴は好き、彼奴は嫌いときめかかって、それから政治の「評論」をやり出すらしい。こういう「評論」は悪口をいわれる本人からして見ると気が楽で(私も覚えがあるが……)好いかも知れぬが、一般の読者からしてみると何の興味も影響もない。-/-

56

-/-私の言わんとすることは、私が満州にいた日本のある高官から聞いた話に尽きる。当時満州にいた日本の高官連は、日本語を上手に話日本人に接近することに努力していた満州人連に話を聞いて、その連中の言うことを以て満州大衆の意見とした。結果は全然違っていた。勿論、現在の日米関係は、昔の日満関係と比すべきではない。然し米語を話し、兎に角米国人の御機嫌をとらんと努力する以外のことは考えない日本人が残念乍ら多数存在する現在、この日本の高官が感じたような悲哀を、他日味わうことのない様に気を付けてもらい度い。個人関係に於ても、国際関係に於ても永続きする友情は、双方が腹を打ち開けて話すことである。そこに何等の遠慮もあってはならないと私は信じる。日本人も日本も欠点だらけらしいが、人間も国家も完全ではあり得ない。米国も又その例外ではなかろう。

63

どうせ軟弱外交といわれるのなら、色々と後日ヌカった処を指摘されない様にして軟弱外交と非難されて貰いたい。弱い奴が強い奴に抑え付けられるのは世の常で致し方なしとあきらめもするが、言うだけ丈(だ)けは正しいことを堂々と言って欲しい。その後で言い分が通らなくても何をか言わんやだ。その時のくやしさも又忘れぬがよい。力が足りんからなのだ。力をつくって今に見ていろという気魄を皆で持とうではないか。又、力が出来た時に昔の様に近所近辺の弱いものいじめをするのはやめましょう。

67

それに引きかえ、他の有象無象の態度はどうだ、共産党じゃないが反省のない人間など使いものになるとは思えない。軽重の差こそあれ、この馬鹿げた戦争を始めてこのみじめな状態に国民を引きずり込んだ責任は、現在の四十歳以上の人々はみんなあると思う。殊に追放に掛ったような重要な地位にあった人に於てをやである。それにも拘らず、日本の救国再建は他人に於ては出来得ずという様な発言をしているのを見ると、片腹痛くなるどころか余りの無反省、余りの自己陶酔に只々あきれるばかりだ。追放の網に掛った人が悪かったので、追放に当らなかった人は大したことは無いというような議論も承服し得ない。責任はみんなにある。くどい様だがその責任の軽重だけだ。重かろうが軽かろうが、必要なのは反省なのだ。

68

-/-それは元来マックアーサー氏が度々言明していた様に、追放は懲罰的な性質のものでなく、国民にこういう指導者群に二度とだまされるなと教えるためにしたらしい。-/-

72

然しこの敗戦の日本が完全に破産している現在、戦前と生活様式を一変して貧乏人は貧乏人らしく生きるのが当り前のことで、今更新生活運動とは恐れ入る。

73-74

私は自由党員でもないし、政治家でもないから自由党内で何のために喧嘩しているのか知らないし、又知ろうとも思わないが、どうせ亮派共利己的なことでゴタゴタやっているので、主義方針の為に闘争しているのではないらしい。主義方針のための喧嘩なら、堂々と硝子張りの内でやってもらうことを国民は歓迎するだろう。

然しこの喧嘩みたいに、あいつは生意気だとか此奴は横暴だとかいって、その騒ぎを議会の運営にまで持ち込んでいる様な醜態は二た目と見られたものではない。今の日本に利己的なことを考える余地があるだろうか。自分の住んでいる家の軒は傾き、柱は曲がり屋根の一部には火がついている様な時に、自分のいる部屋だけよくしようとしたり、自分の部屋を広げようとしたりすることの無意味を考えないのか。

来るべき総選挙の結果、小党分立して政局の安定を欠いた時に訪れて来る国家の運命が如何なるものになるだろうかということを考えないのか。

こんな根本のことで、こんな幼稚なことが了解出来ないのなら、政治家気取りは止めて貰い度い。実は政治家そのものを止めてもらい度い。我々国民がそんなことのとばっちりを食うのはもう沢山だから……。

75

官僚全盛時代が随分続いたから政党人の考え方も余程官僚化して、国民はものを考える能力がないから俺が考えてやらねばならんという様な、大それた自惚れで頭が一杯になっているのではないだろうか。

79

来るべき議会で当然起って来ることは、再軍備に端を発した憲法改正である。この新憲法なるものの原案は確な筋によると、終戦以前に於て既に米国側で占領中総司令部民生局で、色々と話題をまいたケーディス氏一派によって起草されていたものらしい。言葉を換えれば、これは米語翻訳憲法であることは周知の事実である。

私はやかましい日本語の書き方など余り良く知らぬが、まさかと思う人は米文の憲法原案の前文を見て御覧なさい。日本人が日本の憲法の前文で「我々日本人は云々」とやり始めるでしょうか。外国人が日本人の立場に於て書こうとしたことによって、思わず「我々日本人」と始めたに違いないし、又そう始めることは無理でもない。-/-

80

大体この新憲法は、敗戦後将来の日本の誠治体制のあり方の根本を、連合国側が制定したものだと思う。この新憲法の根本は結構なことだと考える。然し独立回復後の日本に於ては、本当に「我々日本人」によって憲法を制定するべきではあるまいか。

83 cf.119-120/281

私が参議院の権限を制限縮小すべしと信ずる所以は、解散の対象になり得ない国会の一部が、衆議院とほとんど同様な権限を持つことは、二院制ということから考えて見て無意味だと思うからだ。-/-

84

憲法改正の焦点は再軍備の問題になると思う。現在の憲法の「戦争抛棄」の条項も、又連合国側というか、米国側の発明である。この「大発明」に対して、憲法発布の時にマックアーサー氏が如何に自画自賛の陶酔の頂点にあったかということは、読者諸君の未だ記憶に新しいことと思う。

当時には米ソの軋轢は無かったどころか、大部分の米国人は永遠の米ソ親善を信じ、世界平和を夢見ていたに違いない。日本の永久の非武装を強調したが、今は米ソの冷戦が始まって、事情が変ったから軍備をしろ、在日の一米国高官が言明した通り、無防備でいることは自殺行為だときめつけても、大部分の日本人は納得しない。-/-

86

戦争はもうコリゴリだというのが、国民の偽らざる気持である。軍備は戦争につながり得る。さわらぬ神に祟りなしという心理が、圧倒的ではあるまいか。私はよく言うように、六年も七年もかかってついた癖は、好い癖、悪い癖を問わず、そう一年や二年で直るものではない。即刻、再軍備論者も、軍需品製造業者も、失業職業軍人も、急いては事を仕損じるという諺は、満更虚言ではないということを、反省して頂きたい。

88

真実はこうだ。大約三分の二位のものは、この大会社から下請けとして中小企業者に発注せられる。目下金づまりと、仕事払底の倒産一歩前の中小企業家連は、溺れる者はワラをもつかむの真理の通り、事業継続のためにツナギとして、この下請製造を引受けたに違いない。成程親会社に出血はない。然し下部の弱小業者の苦境につけ込んで、彼等に結果的には出血を強いたこの経営者の、国家的の問題は別として、社会感覚と良心を疑わざるを得ない。こういう行為が、普通のこととして、弱肉強食の常としてあきらめられた時代は過ぎた。又過ぎなければならない。又こういう行為は永続はしない。永続性のない様なことはせぬがよい、しても無駄だから。私はこういうことを平然とやってのけて「出血行為にあらず」とすましている様な奴を心から憎いと思う。-/-

89

民主主義だとか何とか一応は一人前に述べ立てることは知っているらしいが、一寸したはずみに腹の底はやはり昔並の「危険思想取締法案」を絶対支持した性根を暴露する。こういう傾向がもう少し進むと、又々この暴案の再現になる可能性も出て来る。

90

私自身もこの経験はある。私の友人連にもこの経験の持ち主は沢山いる。こういう青年連中の現在の思想を、左傾的なるもの、危険なるものとして排除するのなら、これら青年の前途はどんなものになるかということを、お偉方諸氏に考えて貰い度い。

98

こういう例は戦前にも数多(あまた)あった。当時日本で外国のことを誉めると評判が悪かったので、みんな異口同音に、日本が一番、外国に学ぶ処は皆無と言ったではないか。こういう種類の狭い国粋論と一人よがりの馬鹿さ加減が戦争開始に貢献(?)したことは多大であったとも言える。

100

日本の復興のたどたどしさの根本の原因は、日本の国民が現在彼等のおかれている環境に対して、殆ど盲目であることだと思う。この感覚の甘さから来ているのだと思う。この甘さを一番露骨に出しているものが、現在の政治界であり経済界であると思う。今一番大切なことは、戦後の日本と戦前の日本とは政治的にも経済的にも違うと言うことを、最も真剣に認識することだと思う。

102 cf.199

議会は国民なのだから現象は正しそうである。それとも議会と国民は無関係なのか。吾々の常識では議会は政府の予算を削る処で、増やす処ではない筈だ。こんなことが平気で起る所以のものは議員だけが悪いのではない。国民の注視が足らないというのも、日本の国がほんとに破産しているという認識が足らないからではないだろうか。破産しているなけ無しの財布からしぼり出した税金なのだから、もっと関心を持つべきだと思う。

103-104

会計検査院の話の序(ついで)に又々嫌なことを言わして貰いたい。会計検査院が役所に出張して会計を監査する時には、何かの形の「御接待」が必要なりと常識の様になっていると聞く。「御接待」も豪遊の類ではなさそうだから、このこと自体は大したことではないかも知れぬが、私の一番不愉快に思うのは国民の税金でやっている役所が、これ又国民の税金でやっている役所を、国民の税金を使って「御接待」するとは、何事だということだ。これと同じ事は、政府が予算を編成する時に、各省が大蔵省の予算関係官を「御接待」することだ。前にも言ったが、事は小さいがこれ程国民をナメていることがあるだろうか。こんな事こそ議会の「怖い」委員会で取り上げるべきではないだろうか。

105

話が横道にそれたが、事業が苦しくなって来るにつれ、国家補助金を当てにする気分が大分頭をもち上げて来たらしい。新しい日本としては、ドッヂさんじゃないが、補助金の制度は止めた筈だ。私は原則的には補助金制度など大反対だ。-/-

どうしても補助金をやるのであれば監督や税金などで条件を付けるべきだと続けている。cf.106-107

107

私に言わせると補助金制度よりもっと悪質なのは、政府がある民間の破産して回復の見込のたたない事業を救済するために、予算を巨額の金をとって国策会社式のものをつくり、その新会社をしてその破産会社を吸収さすことである。今政府がこの種のことをやろうとしているというのでは勿論ない。戦前よくあったこういうことを二度と繰りかえしてもらいたくないというばかりなのだ。

112-113

国民の総意は、総選挙によって表示された。その総意に基いて吉田内閣(第五次)が出来た。政治で最も大事なことはその経済部面である。その経済方針はその内閣が自己の責任において樹立し実施すべきであって、その根本方針を決めるのに、官民合同の審議会をつくって諮問機関にするならいざ知らず、決定機関にしようなんてことはおよそナンセンスであって、国民を馬鹿にしている。この審議会の委員に任命される人々は、いわば普通国民の「清き一票」以外にもう一票持つことになるのではないか。こういう特権意識はやめるがいい。戦前の日本ではこんな考えも横車式に通用したかも知れないが、現在こんなことが受け入れられるとは思わないし又思いたくもない。

116

-/-男女同権ということで始終不思議に思うことがある。敗戦後占領軍の圧力で新憲法を押付けられたついでに、沢山の皇族が整理されて、親王家だけが皇族として残ることになった。親王は一生親王であるに拘わらず、内親王は結婚すると〇〇夫人となり下り、ただの平民となる様だが、これは男女同権ではない様だ。-/-婦人団体も数あることだから、一つぐらいこの問題をとり上げてみるのも面白くないだろうか。ついでに皇位継承も、男に限らず女でも好いという処までいっても、少くとも私は反対しない。

117

大体新憲法になって、国家の象徴となった今日、天皇家家庭事務所である筈の宮内庁が、行政機関の一部になっているのからおかしなことである。宮内庁という、いかにも窮屈な印象を我々庶民に与えている名前から変えて出直すべきではないか。第一、天皇家家庭事務所に千人もの人がいて、毎日なにをしているのか了解に苦しむのは私だけではないだろう。-/-

118

そもそも、と言い出すと大げさになるが、新憲法を一貫する精神は、主権者は民であって、国民が直接選んだ議員によって国事が運営されるということの筈だ。推薦議員制を主張する人々は、「公平」なる推薦団体をつくってやれば、昔の勅選議員のような弊害をおこす心配はなくなると云う。推薦制というもの自体が、直接選挙に依るべしという原則論に反していることは一時やめておいても、この人々の云う「公平」なる推薦母体とは何を云うのか。

134/135

凶作による予想の不足分の六、七割方でも手配していたら、事態はこんなに深刻にならずにいたのではないかと思う。政治があるか無しは、斯(こ)ういう処に出て来るのだと思う。現在の政治はこういう本当の政治家のやるべき政治まで官僚委(まか)せではないのだろうか。-/-

事勿れ主義、石橋をたたいて渡らん主義は官僚の出世の極意かも知れんが、政治家にそれをやられたのでは国民は堪らんし、又政治家としても一生?(うだつ)が上る所以でもあるまい。何事によらず此頃政府のやることは全て後から後へと追いかけている様に見える。

137

何時でも本当のことを言うべし。敗戦の結果として国力の一大低下は事実であるから、いくらヒステリーみたいにくやしがっても、昔から弱いものは強いものに抑えつけられるのは、くやしいことに間違いはないが、何とも仕様がないことだ。結局は抑えつけられることが判っていても事実を素直に言うだけのことは言う勇気はあるべしである。言うことだけは言った上で抑えつけられても何をか言わんやである。ましてアメリカの様に理窟は理窟として判る国民を相手にしている時に於てをやである。言うことだけは言って、然る後に天命を待つ(少し大げさだが)といった様な気持は占領中私は嫌という程経験した。

144

各議員さんが各自の選挙時に於ける利害を考えて種々の改正案に賛否を唱えることに間違いはなさそうだから、どうせ改正案が出来上るにしても良い加減な八方美人的なものになるに決っている。-/-八方美人も良いがこういう問題で困るのは八方美人の八方には国民は含まれていないからだ。-/-

149

私の様な下司(げす)の言葉でいうと、議院はみんな選挙民というヒモ付きなんだ。保守勢力の結合が悪いというのでは勿論ないし各自の意見は自由である。然し保守新党出発前に総選挙を断行するということを何故前提としないのか。保守陣営が自由と改進に別れている方が国家的に健全だと考えて自由なり改進なりに清き一票を投じた選挙人はいないのだと誰が断言出来る。こういう人はこの次の選挙に社会党に投票するかも知れぬ。

159

日航のことで思い出すのは新しい日航をデッチ上げて政府が半額出資しそうな時に私は反対した。一部の人が計画した赤字続きの会社を半分国民に肩替りするのはあやしからんと。その赤字は益々ふえるばかりなのは会社の発表通りだが、国家的にもっともっと金を注ぎこんで国民経済の再建をやらなくてはならない時に、維持課虚栄か知らないがこんなことに国民の血税が流れ込んでいくかと思うが、ただ呆れかえって腹立つ元気もなくなる。

これは53年に日航が半官半民の特殊法人となり、86年まで国際線を独占、87年に民営化された当時の経緯を指す。

161

-/-石炭の様な大資本家の割拠する事業は困ってくるといつでも政府がなんとかしてくれる。日本の産業の