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プリンシプルのない日本

書誌

author白洲次郎
publisher新潮文庫
year2006
price476+tax
isbn978-4-10-128871-0

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2016.2.7読了
2017.1.5公開
2017.1.15修正
2017.2.23修正

著者は第二次大戦において日本の敗北を見越してさっさと疎開し、 戦後には吉田茂のブレーンとしてGHQとのやりとりを行い、近年に再評価されつつある人である。この本は、その白洲次郎の発言を集めたもので、遠慮をしないというか、確かに歯に衣を着せないというか、文が人を表すを地で行くという、そういう人となりのよく出た内容になっている。その意味ではうまく編集された本でもある。

GHQによる占領政策への批判にしても全く手を緩めない辺りは長い物には巻かれろの風潮の中においては突出していたであろうし、自らも認めているように煙たがられた存在であったことも容易に想像できる。しかし、彼の真骨頂は例えばGHQによる占領を批判しつつも、それが「最悪中の最善であった」とし、戦後の憲法が与えられたものであったとしても、「いいものはいい」と認めるだけの度量があった点にある。単に反発や否定をするだけではなかったところに懐の深さがあり、それが魅力ともなっているのだが、いかんせん遠慮を知らないという点で、もったいないというか不器用というか、逆に人間のこういう部分は英国へ留学して教養を蓄えたとしても変えられないのだろうという気がしないでもない。

主旨に沿って文章を集めたものではないので内容も特定の話題に留まるものではないが、上記の文章を始め読み応えのある本なので、むしろ昨今の政治家などと呼ばれているような人にこそ読んでもらいたいと思う本である。

然し、我が国の占領が米国による占領であったことは、最悪中の最善であったとははっきり言える。(cf.178)

新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的には何と言うのか知らないが政治の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。(cf.226)

抄録

13

新聞では次郎が(吉田:唯野注)首相の側近といわれ茶坊主などといわれるのに、僕はかねがね腹を立てている。それは贔屓で彼のために義憤を覚えているからではない。そういう人々が自分の無知と偏見をさらけ出しているからだ。彼が変り者とか、我が儘な無法者と非難されるならば、身から出た錆だと僕も思うが、吉田の爺さんの太鼓を叩いて、甘い汁が吸える男でないと僕は何十年もつき合って知っている。

p18までは今日出海(こん・ひでみ)による序文。

14-15

僕は度々書いたが、彼は戦前日米戦争が不可避だと予言していた。その時は蒋介石を相手にせずと日本が言っていた頃である。そして日本人の大部分が米国と戦うなどとは思ってもみぬ頃である。そして必ず日本が敗北し敗北の経験のない日本人は飽くまで抵抗して、東京は焼野原になるだろうともいった。

そこで彼は地の理を研究して現在の鴨川村に戦前の疎開を敢行したのである。敗け込むと食糧難に陥ることも彼の予見で、百姓になって人知れず食糧増産に心がけていた。

かかる彼を僕は非難し、攻撃したものだ。ところで僕は徴用されて戦線に追いやられている間に東京の我が家は全焼し、帰って来た時には、妻子は逗子の仮寓で、食うものもなく、B29におびえて暮らしていた。

次郎は逗子の家も焼かれるだろうからと、僕の一家を引きとるべく、納屋を改造して、戦争が済むまで、明けて待っていてくれた。

15

一クセも二クセもある怪物らしくいう人もあるが、クセなら誰にでもあることで、僕は彼を怪物と思ったことは一度もない。我が儘育ちで、好き嫌いが激しく、厭だと思うことをせずに暮らせただけに世間が狭い。世間の苦労を積んだ卑屈さは、微塵もないだけならいいが、子供の時分と少しも変らぬ我武者羅と非妥協性で、誰彼相手構わず立向う。利害関係がなければ痛快な男だが、あれで利害関係があったらたまるまいと思う。-/-

17

恐らくそんなツマラヌ処世法は彼には出来る筈がない。彼が有用であり、彼の言動が日本の政治経済外交に何等かの寄与が出来れば出来るほど誤解がとび出すに違いない。彼は誤解を解くような努力は一切しないし、また誤解されるような人物だ。政治家になるには性格が孤独すぎる。吉田の爺さんくらいの年になれば、変り者の政治家として有用なところだけが光って迎えられるかも知れぬが……。

23-24

この意味で不愉快なのは、日本でなんとか名のある人の家へ行くと、そこの子供が女中や運転手に威張り散らしていることだ。銀行の頭取だの、車長だの、大臣だのの子供が、親父の主宰する所に働いている大人に対する態度も実に言語道断だ。これは第一に親が悪いと思う。英国では会社の社長に給仕がお茶を持ってきたら、必ず「ありがとう」という。当り前のことだが気持が好い。日本でも子供に親がもっとこういうことを教えなければいけない。これが本当の民主教育というものだと、僕は思う。

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