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もっとさっさとやっておくべきであった。

断片 (このサイトのどこかにあるもの)

知って行わざるは知らざると同じ??貝原益軒


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白洲正子〝ほんもの〟の生活

書誌

author白洲正子、青柳恵介、赤瀬川源平、前登志夫 他
publisher新潮社
year2001
price1500
isbn4-10-602085-8

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2018.10.7読了
2018.12.15公開

白洲正子を読み解くための、本人を含む複数の著者による評伝というか回想録というべき本で、写真も多くビジュアル要素の強い一冊。彼女を特徴づける、骨董、文章、食事、能、親族(白洲次郎ほか)などを主題にした文章で構成されている。

元より、私の場合は白洲次郎の奥さんというところから本書を手にしており、彼女の本は残念ながら読んだことがないため、「ふーん」と思って読んだ感じが強かった。実際、彼女自身の活動も夫とは別個のもので、晩年には夫婦で旅行などもしたようだが、あくまで別人として存在していたことが本書でも紹介されている。

そんなわけで、器とか骨董、能などにも疎い私にはうなずける箇所というよりも、未知のものとして勉強になる箇所の方が多い本だった。

抄録

23

以下は白洲正子の文。

お能から教わったことも多かった。四歳から仕舞を習い始め、始めの頃は何もわからずにただうれしくて舞台に立ってました。大人になってから、かなり上手いところまでいったと思って得意でいたけれども、五十年近く舞ってやめました。やめた原因は、自分が見えてきたから。女に能は無理だとほんとにわかったからです。これはひと口では言えないけれども、精神的にも肉体的にも無理だなとわかった時に、あっさりやめてしまいました。やめられたのは、五十年も一生懸命にやってみたからで、悔いは一つもありませんでした。

お能ばかりでなく、日本の伝統芸能は、肉体のみならず、自我もろとも〝人間〟をいったん殺してしまうのです。そして何もかも型に入れてしまう。-/-方に入れた上で、型をなくしてそこから自由になる。この自由になるということが、能の場合は、女にはむずかしい。だいたい、能は男のために出来たものですから、日本舞踏とはとても違うんです。

24

-/-どんな素人でも、ごく上っ面の感じが良いとか悪いとかいうのはわかる。でもそれと〝もの〟が見えるかどうかとは別物だと。

幸い母が趣味のよい人でしたから、私も子供の頃からいいものは見てきました。でもその頃の上流婦人は骨董狂いなんて品の悪いことはしません。だから母の趣味はよくても深くはなかった。私に才能があれば、最初から〝見える〟のだろうけど、〝もの〟がわかると言えるようになるまでかなりの時間がかかりました。いろいろとつまらないことも試してみましたが、そうしているうちに自分が何を求めているかわかってきたの。

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