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百頭女

書誌

authorマックス・エルンスト
editor巖谷國士(訳)
publisher河出文庫
year1996
price980
isbn309-46147-6

目次

1感想

履歴

editor唯野
2000.3.23読了
2000.3.23公開
2002.11.28修正

二十世紀の奇書のひとつ。私も書名しか知ることのない本だったが、こんな本が 100 円で転がっているのだから世の中やっぱりおもしろい。奇書ゆえに出会いからして因縁めいているのではないかと疑いたくなるような経緯によって手にした本である。

かくいう本書はシュールレアリスムの代表的作家であり「コラージュ」といった手法を世に広めた著者を代表する一冊である。日本語訳での『百頭女』は原題を La Femme 100 Tetes といい、サンテート(100 tetes)はサンテート(sans tetes:無頭)にもなるという綾からも分かる通り、一読して終わりにできるような、いわゆる底の浅い本ではない。だからこそ古びることもなく新たな魅力を放ち続けているのであろう。つまりは、それだけ本書は幅広い読み方のできる本なのだ。不思議なキャプションとともに誘われるコラージュの数々は謎が解き明かされることもなく、その終わりが始まりへと回帰していく。訳者の言葉を借りるならば、「謎は謎のまま、いわば永劫回帰にゆだねられる。読書(というべきか ?)のあいだに私たちが味わうのは、集中よりもむしろ逸脱である。細部まで明瞭でありながら偶然に支配されているこの銅版画の集合は、私たちの読書をつねに無限の拡散にまかせ、ときには物語の外へとイメージを開放してしまったりもする」からである。

そのキャプションとは、例えば「風景の無意識は完璧になる。」「直径の大きな叫び声が、果物と肉片を棺桶のなかで窒息させる。」「そして画像たちは地面まで降りてくるだろう。」といった具合である。著者のよき理解者であり本書の刊行にも携わったアンドレ・ブルトン(『シュルレアリスム宣言』の著者:唯野注)が序文の中で「そうした断面のなかには、結局のところ不確実であるような要素、つまり真実らしさという融通のきく条件をみたす以外のどんな目的にも用いることが禁じられているような要素は、なにひとつふくまれてはいない」と指摘する通り、逆説的ではあるけれども本書はそういった文脈の未定義によってこそ読み手の想像世界を解放することに成功している。読み手に応じて全く異なる世界を喚起させる??それこそが本書の醍醐味であり奇書たるゆえんだからである。

いずれにしても意外性にあふれた本をお探しの方にはおすすめの一冊であるが、それだけに本書は我が国においても様々な人々を虜にしてきたようだ。巻末のマックス・エルンスト頌には瀧口修造、赤瀬川原平といった錚々たる名前が並んでいる。そんなわけで(引用ばかりになってしまったが)、この読書ノートの最後は澁澤龍彦のシュルレアリスム観で締めくくることにしよう。

「シュルレアリストたちは、細部の平俗を恐れなかった。博物学の書物の挿絵や広告写真のような平俗なトリヴィアリズムを恐れなかった。なぜかと言えば、私たちを最も不安や脅威の情緒で満たすものは、神の行うような無からの創造ではなく、かえって既知のものの上に加えられた一つの変形、一つの歪曲であるということを、彼らは直感によって知っていたからである。これがつまり錬金術ということだ。」

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