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風の十二方位

書誌

authorアーシュラ・K・ル・グィン
editor小尾芙佐(ほか訳
publisherハヤカワ文庫
year1980
price580
isbn15-010399-2

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002.5.9読了
2002.5.9公開
2002.7.12修正

初期ル=グィンの自選短篇集。原題は「THE WIND'S TWELVE QUARTERS」だが、これを『風の十二方位』とする辺り、うまいなと思う。恐らく名前を知らない作家であっても、この書名なら手に取ってみたくなる??そんな気にさせる本といえる。最近は特にビジネス書なんかだと、書名もそのものずばり(かつ少し冗長というか長いタイトル)のものが多いという印象がある。そういう本の方が掴みとしてはよいのかもしれないが、個人的には映画のタイトルをそのままカタカナに置き換えておしまいなのと一緒で、物足りなさを感じるのも事実である。

だから、実をいうとこの本はタイトルだけで割と満足してしまった本であり、タイトルだけから勝手に連想していた時間の方が読書そのものよりおもしろいというような印象だった。その意味では少し変わった読書ともいえるが、そういう契機を与えてくれたという点では、訳者を含め著者の底力というべきなのかもしれない。

肝心の作品の方では、長編(『ゲド戦記』や『闇の左手』)の挿話的物語も興味深かったが、最もおもしろかったというか考えさせられたのは「オメラスから歩み去る人々」で、これはひとりの子ども以外は全員が幸せを享受する世界を描いた短篇(cf.415、著者の言葉によれば心の神話:サイコミス)で、安田均の後書きによればヒューゴー賞も取っているとのこと。他には感情の反射による齟齬と結末を扱う「帝国よりも大きくゆるやかに」、終わり方が読者を惹き付ける「暗闇の箱」「地底の星」などがよかった。

また、この本は自選短篇集にしては趣向に富んでおり、ほぼ年代順に従った構成、本編の前に入る著者自身による作品紹介など、そういった意味で少し毛色が変わっている。まあ、ありがたいサービスには違いないので、無下にどうこういうようなことではないのだが。

抄録

50

-/-??プロ根性?≠ネどというものは美徳でもなんでもない。プロというのは、アマが好きでやることを金銭のためにやる人間にすぎない。だが貨幣経済社会では、金が支払われるということは、作品が流布され、読まれるということである。それはコミュニケーションの手段であり、それこそ芸術家の意図するところである。-/-

71

-/-科学者は、わたしの作品にしばしば登場するが、それはたいてい孤独であり、冒険者であり、事物の先端にいて孤立している人物である。cf.199

123

たちまち死骸は消失した。傷跡もなく、汚れもない。乾いた標石の群れが、星明りにしらじらと輝いた。フェスティンはしばらくそこにたたずんでから、やがて巨石のあいだにゆっくりと腰をおろして休息した。休息だけで、眠りはしなかった。なぜなら、おのれの墓に送り返されたヴォールの死骸が塵に返り、すべての邪悪な魔力を失い、風に吹き散らされ、雨によって海へ洗い流されるまで、彼はここで見張りをつづけねばならないからだ。かつて死がもう一つの国への戻り道を見つけたこの土地を、見張りつづけねばならないからだ。海岸というものを持たぬ国の真中、永久に川の流れを失った岩石のあいだで、根気づよく、フェスティンは待ちつづけた。星ぼしは彼の頭上で静止していた。そして、その星ぼしを見まもるうち徐々に、きわめて徐々に、彼は生命の森の葉むらを打つ雨音をも、小川のせせらぎをも忘れはじめていた。

これはゲド戦記に連なる短篇である「解放の呪文」の最後の部分からの引用。別にここである必要はないのだが、割と私の思うル=グィンらしさの感じられる箇所だったので引いてみた次第である。

166

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