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荒れ野の40年
ヴァイツゼッカー大統領演説 全文

書誌

authorヴァイツゼッカー
editor永井清彦(訳)
publisher岩波ブックレット
year1986
price250
isbn0-004995-X

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2001.6.12読了
2001.6.13公開
2001.6.21修正

岩波ブックレットというのは値段が安価というだけでなく社会問題の定見を得るのに手頃な長さを兼ね備え、もっと私も読まなければならない種類の本である。とはいえ、いかんせん岩波の本であるから、買い取りのできる規模の書店でないと書棚にはないことが多く、意外と町中の書店ではお目にかかることのできないのが欠点といえば欠点だろう。

それはともかく、少し前に自分の本棚を眺めていて「そういえばしばらく読んでないな」と思い 3 冊ほどを通読した。そして感じたのは、今時のあったことしか伝えないような新聞記事などよりも、このような本を定期的に読んだ方が余程ためになるのではないかということだった。(やはり読まねばならないということだ。)

それで肝心の本書の内容についてだが旧西ドイツ大統領だったヴァイツゼッカーがドイツの戦後 40 年にあたる 1985 年 5 月 8 日に行った演説を翻訳して、その背景を解説したものになっている。1985 年というとソ連にゴルバチョフ政権はあったものの依然として冷戦は存在し(そこには当然ながら旧東ドイツに対するネーションの問題がある)、ドイツ国内においても戦後の世代が地歩を築いたことによる世代を超えた議論が割と盛んだった時期ということらしい。

そういう中においてドイツの過去において反省すべき点は反省し未来のためにすべきことを諄々と説くこの演説は、国内外を問わず高い評価を得ている。解説では背景としてのプロテスタント的罪責告白(自由であった時、わたしは何をしたか。何をしなかったか、という問い cf.53)の系譜(ナチス期のバルメン宣言、戦後のシュトゥットガルト罪責宣言など)を説明しているが、これはヴァイツゼッカー自身が政治家となるまではプロテスタントの指導者のひとりだったこととに関連しているとのこと。ドイツの大統領は隣国であるフランスのように強力な権限を有するわけではないが、翻って最低限のお詫びだけで後の言葉を濁す我が国とは、過去に対する態度という点で既に大きな開きがあるといってよいだろう。

抄録

8-9

われわれにとっての五月八日とは、何よりもまず人びとが嘗めた辛酸を心に刻む(エアイルネルン)日であり、同時にわれわれの歴史の歩みに思いをこらす日でもあります。この日を記念(ベゲーエン)するにさいして誠実であればあるほど、よりこだわりなくこの日のもたらしたもろもろの帰結に責任をとれるのであります。(注釈参照の部分は削除:唯野注)

15

良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。

戦いが終り、筆舌に尽くしがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

16

罪の有無、老若いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

心に刻み(エアイルネルン)つづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老若たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

23

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