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読書について
他二篇

書誌

authorショウペンハウエル
editor斎藤忍随(訳)
publisher岩波文庫
year1960
price300
isbnI-33-632-2-Z

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2001.8.30読了
2002.1.14公開
2002.4.25修正

表題作以外として「思索」「著作と文体」の収められた本。「著作と文体」の箇所などは、我が国で目にする国語批判そのものといってよい。私は国語の乱れ云々というものには、どちらかといって無頓着であるが、ただ本書全体に通じる箴言の多くは簡単に無視できないだけの響きがあると思う。なぜなら情報や言葉の氾濫は、必然的に個々の情報や言葉が本来持っていた「重み」を相対化する。例えば「死ぬ」「殺す」なんて言葉もありきたりになってしまうと、結果的に本来的な意味に対して鈍感になってしまう部分があるということである。それゆえ情報化社会の進展は、個々の言葉の持つ意味を軽くすることはあっても、その逆は難しい。恐らく、こういう本というのは今日的にいって、そういう状況を念頭に置いてこそ接する意味があるのだろうと思う。

抄録

5-6

数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識のばあいも事情はまったく同様である。いかに多量にかき集めても、自分で考えぬいた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考えぬいた知識であればその価値ははるかに高い。-/-我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。知るためには学ぶべきである。だが知るといっても真の意味で知られるのは、ただすでに考えぬかれたことだけである。

冒頭からしてこんな感じである。ただ、個人的にこれに関しては時代の方が変遷しつつあると思う。Namazu のような全文検索エンジンを使うと知識が整理されているかどうかさえ重要ではなくなってくるし、それよりも知識の活用するスピードの方こそ問われるような気がするからだ。

10

つまり自ら思索する者は自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない。ところが書籍哲学者は他人の権威ある説から出発し、他人の諸説を本の中から読み拾って一つの体系をつくる。-/- cf.13、56 (個人の固有性の発露としての文体)、63 (主張すべきものの所有)、112

19

-/-したがってこのかぎりでは、真の思索者は君主に類似している。彼はだれの力も借りず独立の地位を保ち、自らの上に立つ者はいかなる者も認めない。その判断は君主が決定する場合のように自らの絶対的権力から下され、自分自身にその根拠をもつ。-/-

ところが、その他大勢的な頭脳の所有者たちは、世間通用のあらゆる意見や偏見、権威にとらわれていて、法や命令に黙々と服従する民衆に近い。

21

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