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園芸家12カ月

書誌

authorカレル・チャペック
editor小松太郎(訳)
publisher中公文庫
year1975
price330
isbn12-200284-2

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002.5.4 ?読了
2002.5.20公開
2002.8.4修正

カレル・チャペックというと、普通は『ロボット(R.U.R)』や『山椒魚戦争』が有名だが、実はこんな本も書いている。個人的には『ロボット』(これは戯曲である)よりも『山椒魚戦争』の方がおもしろかった記憶があるが、この本はというとがらりと雰囲気も変わっていて、ひたすら園芸の好事家の生き様というか生態を描いた本になっている。序章の後は、一月の園芸家?十二月の園芸家という構成で、四季を通じて園芸家には心の休まる暇のないのがよく分かる。例えば、園芸家にとっては一月も天候の手入れをする月であり、一月の最も有名な花は「窓ガラスに咲く花」なのだそうである...

まあ、どのような趣味人であれ、自分の趣味の対象(庭や土や植物)が気になって仕方がなく、対象への蒐集熱が起こるなどという点は同じであって、要は対象が異なるだけだと思うが、その意味では園芸家でなくても何らかの趣味人であれば「何だ自分と同じじゃないか」と感じることだろう。

# なお、本書には兄であり共作した作品もある
# ヨゼフ・チャペックの挿絵がいくつも挿入されている

抄録

14

素人園芸家になるには、ある程度、人間が成熟していないとだめだ。言いかえると、ある程度、おやじらしい年配にならないとだめだ。おまけに、自分の庭をもっていることが必要だ。たいがいの場合、庭はエキスパートの園芸家につくらせる。そして一日のつとめがおわると、庭を歩いて花をたのしみ、鳥のさえずる声に耳をかたむけよう、と考える。そのうち自分でなにか花を一本植える。わたしが植えたのは一本のマキギヌだった。そのとき指のどこかに傷をしていて、そこからでもはいったのか、とにかく血液の中に少量の土がはいりこんで、一種の中毒、あるいは炎症をおこした。つまり園芸熱というやつにかかったのだ。

15

ほんとうの園芸は牧歌的な、世捨て人のすることだ、などと創造する者がいたら、とんでもないまちがいだ。やむにやまれぬ一つの情熱だ。凝り性の人間がなにかやりだすと、みんなこんなふうになるのだ。

34

できあがった庭を、はたからぼんやりながめていたあいだは、園芸家というものは、花の香に酔い、鳥の啼きごえに耳をかたむける、とても詩的な、心のやさしい人間だと思っていた。ところが、少し接近して見ると、ほんとうの園芸家は花をつくるのではなくって、土をつくっているのだということを発見した。cf.31

45

-/-ただ、天候だけはどうにもならない。どんなにさわごうと、どんなに誇大妄想にとりつかれようと、どんなに改革熱にかられようと、どんなに好奇心にもえようと、どんなに悪たれ口をきこうと、天候だけはだめだ。時がみちて法則にかなえば、蕾はひらき、芽はのびる。そのとき、きみは謙虚な気持になって、人間の無力なことをさとり、「忍耐がすべての知恵の母」だ、ということがわかるだろう。cf.58

47-48

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