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本を読む本

書誌

authorM.J.アドラー、C.V.ドーレン
publisher講談社学術文庫
year1997
price760+tax
isbn06-159299-8

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
?読了
2014.6.10公開

「本の本」としては非常に著名な一冊。米国で刊行された初版が1940年だというから相当に息の長い本である。書物を精読する上での具体的な指針を述べているが、このたび再読してみても十分に現在でも通用する内容だと思った。ある意味で古典なので、原則論であり、専門書を読むための技術面に重きを置いている。そのため、書物愛に傾きがちな「書物論」とは一味違う。

ただ、驚いたのは、私自身の読書ノートをつける際に意識している部分との一致が少なからずあり、原則論かもしれないが、それだけに自分の思っていた以上に影響を受けている本なのかもしれないと感じさせられた点だった。

何よりも本書が古典として生き続けられるのは、良書の読みかただけでなく悪書の見極め方にもつながる視点を提供している点にあると思う。書籍における論理の一貫性を重視し、反論のためには何が必要なのかを説くこの本は、例の細胞論文の学者先生などにこそ、何かを研究をする以前に必要なのではないかと思った。

抄録

15

いまの私たちは、世界について昔より多くを知ることができるようになっている。それは恵まれている。深く理解するために、多く知ることが絶対に必要であるなら、それも結構だろう。だが一から十まで知らなくても物事を理解することはできる。情報過多は、むしろ理解の妨げになることさえある。われわれ現代人は、情報の洪水の中でかえって物事の正しい姿が見えなくなってしまっている。

16

「読む」という行為には、いついかなる場合でも、ある程度、積極性が必要である。完全に受け身の読書などありえない。読むということは、程度の差こそあれ、ともかく積極的な行為で多岐にわたり、読書にはらう努力が大きければ大きいほど、良い読み手である。自分自身と書物に対し意欲的であればあるほど、よい読み手と言える。

19

自分の理解を越えた本を読むときこそ、読み手はいっさい外からの助けに頼らず、書かれた文字だけを手がかりに、その本に取り組まねばならない。読み手が積極的に本にはたらきかけて「浅い理解からより深い理解へ」と、読み手自身を引き上げていくのである。これはきわめて高度な熟練した読みかたである。読み手の理解力が試されるような本にふさわしい読みかたである。黄土の読者を相手に書かれた難解な本こそ、このような積極的な読みかたが必要であり、また、そのような読みかたに値する。

21/22/22

知識を得るのも、わからなかったことがわかるようになるのも、「学ぶ」ことには違いない。しかし、同じ「学ぶ」と言っても、この二つの「学び」には大きな違いがある。

知識を得るためなら、単に事実を知るだけでよい。「教わる」ということは、なぜそういうことになるのか、他の事実との関係や共通点や相違点について、さらに詳しく知ることである。

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