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人生の短さについて
他二篇

書誌

authorセネカ
editor茂手木元蔵(訳)
publisher岩波文庫
year1980
price460
isbn0-336071-0

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2003.6.21読了
2004.1.2公開
2004.1.5修正

表題作と「心の平静について」「幸福な人生について」を収めた本。セネカといえば『エセー』を読んだとき、しばしば取り上げられていたことを思い出すが、解説を読んでも実際にストア派の中でも後世に影響を与えた人物としての紹介がされている。

生涯を簡単に追うと、コルドバで裕福なローマ市民として生まれ、ローマで修辞学と哲学を修めるものの健康上の理由でエジプトにしばらく隠棲する。30 歳のときローマに戻り元老院に入り弁論によって名声を博すが、カリギュラ帝からは憎まれコルシカ島へ流される。アグリッピナが后となることで 8 年後に彼がローマへ戻ると、彼女は息子のネロの教育に当たらせた。アグリッピナによりクラウディウス帝が死にネロが即位すると、セネカはブルルスとともにこれを補佐し、強い権力を得る。しかし、アグリッピナとブルルスが世を去り元老院からの攻撃が強まると孤立したセネカは隠棲を願い出て受理される。そして、ガイウス・ピソのネロへの反逆が失敗したとき、それに加担したとの嫌疑を受けネロの命により自殺する。

彼の最期はあまりにも有名であるから今更の付言を要しないが、この行動によってこそ、彼の思想への実証性が与えられた部分がある。むろん、これには反論があり、必ずしも言行が一致していないとの指摘もある。しかし、彼自身は哲学者というよりも公的な人物として政治家、弁論家というべき部分を考えると、個人的にはその警句的な文章を含め、それはそれで自己のために役立つものといってよいように思う。

抄録

9-10

-/-しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬く間に雲散してしまうが、たとえ並みの財産でも善い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配するものには、著しく広がるものである。

13

-/-しかし自分自身のために暇をもてない人間(=他人のために利用されている人間:唯野注)が、他人の横柄さをあえて不満とする資格があろうか。相手は傲慢な顔つきをしていても、かつては君に、君がどんな人であろうとも、目をかけてくれたし、君の言葉に耳を傾けてくれたし、君を側近くに迎え入れてくれたこともある。それなのに君は、かつて一度も自分自身をかえりみ、自分自身に耳を貸そうとはしなかった。だから、このような義務を誰にでも負わす理由はない。たとえ君がこの義務を果たしたときでも、君は他人と一緒にいたくなかったろうし、といって君自身と一緒にいることもできなかったろうから。

15

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