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黄金の壺

書誌

authorホフマン
editor神品芳夫(訳)
publisher岩波文庫
year1974
price410
isbn0-324141-X

履歴

editor唯野
2001.4.8読了
2001.4.8公開
2001.4.16修正

ドイツ文学の妙味というべき幻想と怪奇をごった混ぜにしたような作品。ホフマンの代表作でもあり、これが後のカフカやポーにまで影響の与えたことを考えれば、おもしろくなかろうはずがなく、むろん私自身の期待も裏切らない大当たりの本だった。

あらすじをいえば黄金の蛇に恋した若者の話??ということになるのだが、解説にもあるように非現実的な出来事を主題としながらも「日常の現実世界が、一見きわめて揺るぎない書割としてしっかり描かれている」ところに大きな魅力があるように思う。それは物語全体の描写としてもいえるし、一時はアンゼルムスに夢中になりながらも、宮中顧問官になったへールブラントとあっけなく結婚してしまうヴェロニカの(いうなれば世俗的な)態度との対比からもいえることだ。

実際、幻想文学とはいっても完全にそういう世界で閉じてしまうのと現実世界との接点にせめぎ合いを見せるものとでは、おのずと物語への接し方も違ってくる。個人的には、日本では後者の系統での良い作品が少ないように感じるのだが、この作品の場合、その点でのバランスの取り方が非常にうまいと思った。ちょっと文脈的には違うのだが再度、解説から引用すると

-/-リアリズムとは、そもそも、描写の方法のことではなくて、なによりもまず、ものを見る態度のことである。十九世紀のリアリズムというものには、市民社会の現実に対する、なんらかの形での根底的な批判の目が描写のなかになくてはならないはずである。ホフマンには、近代社会が人類を危険のふちに連れてゆくかもしれないという予感はたしかにあったけれども、現実の市民社会の構造や倫理観についての冷静な分析をする態度はないのである。(p.183-184)

ということだ。現実的ではあるのだが、それもどこかで割り切ってしまっているというのが、もう一方の世界とのバランスを取る上で効果を発揮しているように感じるのである。考えてみれば、私がライトノベルズをあまり好まないのは、そういう意味でのリアリティとのバランス関係が悪いからだといえるような気がする。むろん、それでも優れたものはあるし全てを否定する気もないのだが、読み手としても読む前から割り切ってしまっているので切迫してこないというか、危うさがないというか、そんな感じがある。要するに、小説の中の世界でさえも読者は安全な場所にいるようなイメージということだ。

広げていえば、そういう辺りからも今という時代の片鱗をのぞくことができるのかもしれない。「よりリアル(刺激的)だがリスクは少なく」という方向性は、映画だろうと、テレビゲームだろうと、およそ今の世の中の娯楽と名の付くもの全てにおいて同じように思われるからである。

すっかりヨタ話が長くなってしまった。何にせよ、アンゼルムスとゼルぺンティーナとの恋は成就するのか否か。それをいってしまっては後の読者のためにならないので、こればかりは言及しないが、この作品は意外と肝心の結末が見えないという一点だけ取っても十分に惹きつけられる要素を持っている。一読すれば人間の想像力のひとつの到達点なのだろうなと感じざるを得ない出来といっていいだろう。

主要登場人物

アンゼルムス 主人公の大学生
パウルマン 教頭
ヘールブラント 書記役 アンゼルムスにリントホルストの仕事を紹介する
リントホルスト 文書管理役 火の精、アンゼルムスは彼のもとで筆写をする
ゼルペンティーナ リントホルストの(3 人の中の)末娘 cf.114-119
ヴェロニカ パウルマンの娘、アンゼルムスに恋をするがヘールブラントと結ばれる
リーゼばあや リントホルストと対決するためにヴェロニカを利用する
黄金の壺 地霊が 3 人の娘に与えた最上の金属による百合の咲く壺

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