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日本のダムを考える

書誌

author大熊孝, 天野礼子, 保母武彦, D・ビアード
publisher岩波ブックレット
year1995
price400
isbn0-003315-8

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2001.6.6読了
2001.6.18公開
2001.6.21修正

田中康夫が長野県の脱ダム宣言をしたことに対して一部では反論もあるようだが、私にいわせればそれらは少しも的を得ていない。なぜなら本書を読めば分かるように、脱ダムという流れは既に世界的な潮流であり、原発同様、日本だけが例外といってよい状況にあるからである。それだけに本書の冒頭に登場する D・ビアード(合衆国開墾局総裁)の「アメリカにおけるダム開発の時代は終わった」という言葉は極めて象徴的といえる。

もちろん、そうはいってもダムなどというものは一朝一夕にして撤廃できるものではないし、それに携わる人々のための雇用の問題もあり、「何でもすぐなくせ」などという議論は不毛である。しかし、ダムの功徳を評価した上での新しい道の模索には意味がある。というよりも、そういう建設的な議論抜きの脱ダムでは、それもまた単なる上からのものになってしまうだろう。最近は脱ダム宣言のおかげで天野礼子などもダムの本を岩波新書から出したりと勉強のための素材が充実しつつある。この本だけでなく更なる勉強が私自身にも必要だと思った。

抄録

5

日本では河川を横断する構造物のうち、地盤から堤頂までの高さが 15 メートル以上のものをダムと呼び、それ以下のものを堰などと区別している。この分類に従った日本でのダムはおそよ 2,500 基あり、多くは 1960 年代の高度成長期以降に建設されてきた。

9/12

ダムのための水を得るために例えば信濃川ではほとんど流水のない区間が 70 km 近くもある。これらの区域は川としての機能がほとんど失われている点で、川の長さとして含めるのに疑問視すべき状況を生んでいる。例えば、その間は水が浄化されることもなければ生物を生み出すわけでもない。

13-14

ダムが土砂を堆積してしまうことにより海岸を浸食することについて。また、土砂の堆積により我が国でも戦前のダムはそのほとんどが貯水能力を失っている。最近では土砂を浚渫(しゅんせつ)することで海岸の侵食に配慮したものも存在するが、そのためのコストは電力の値段として跳ね返っている。

18

木曽三川における代表格は木曽川であり随一の水量と急流を誇っていたが、明治中期以降、それが仇となって次々とダムが建設され、現在ではその面影はない。一方、長良川はダム建設者からは「役立たずの川」と呼ばれてきたが、流域の人々と川との関係は文字通り生活全般に広がるものだった。

24-26

海の豊かさとそれを支える森の関係。そして、それをつなぐ川の存在。ダムのための治水費用は森の維持のためにこそ使われるべきなのではないか。

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