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断筆宣言への軌跡

書誌

author筒井康隆
publisher光文社
year1993
price930
isbn334-05209-6

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
1996.9.21読了
1999.3.18公開
1999.10.30修正

筒井康隆が主に「噂の真相」へ書いた断筆宣言へ至る経緯の文章を集めたもの。

これを見ると断筆への最後の決定打が例のてんかん問題であったことは周知の通りとしても、それ以前の問題として永山則夫(死刑囚作家)の処遇をめぐる日本文芸家協会の体質、一向に減らない言葉狩りの問題などが伏線としてあったことを理解することができる。個人的には、彼の断筆は既に旧聞に属する話題なので今更ではあるが「案外と短かったなあ」というのが終わってみてからの印象であった。団鬼六と同じ5年くらいは続けるように思っていたからである。まあ、これは私の勝手な期待であったわけであるけれども、いずれにしても断筆を解いたからといって問題が十分に議論されたであるとか問題に何らかの見通しがついたのか??といえば必ずしもそうではないのが事実だと私は思う。それだけに、筒井氏本人には、もっとその意味での積極的な活動を期待したい。

ちなみに、件の永山問題では中上健次,柄谷行人との3人による脱退の顛末が記されている。また、ここでは安吾のいう「悪」の論理と、当時に比べて強くなるばかりである規制問題とが並行しながら捉えられている。

抄録

4-6

井上ひさしによる序文であるが、なかなかの好文章。差別の問題における「する側とされる側の境界が明確ではないこと」というのは非常に意味のある指摘だろう。つまりは、一部分から全体を評価することの愚かさと、それは自分だってやっているであろうことなのだという意味での自省と、差別を避ける努力の重要性ということである。それを放棄するとどうなるか。いみじくも氏が指摘しているように「心の中ではバカにしながら外では慇懃な体裁を繕う偽善の技術、面倒なことに係わりたくないからコトバの置き換えで避けてとおろうという小手先の制度、指摘と指弾には謝罪と回収で対応してお手を拝借シャンシャンというあほらしい定型、差別語さえ口から出さなければ差別していないのだという傲慢無礼な慣習」などを導くだけだからである。

19-26

「悪人」の観念の減退に伴う「話せば分かる」という幻想の広がりを指摘した箇所。全くもって同感である。著者の論理は父親という身近な「悪人」像がなくなった現代ではエディプス・コンプレックスも言葉だけのものとなり、その結果、それは明確な「悪人」像を持たない時代思潮と、それゆえの「対話への安易な期待感」を生んでいるというものだ。つまり、話し合いムードを信頼しているため、「権力にひそむ悪の全体を劇画的にしか認識していず、したがってそういったものの存在を心の底から信じていないところもあり」「自分が丸めこまれたのだと絶対に思わない」風潮ということである。ところが「こういった甘い国民大衆」が「権力者にとってまことに好都合」なのであることはいうまでもない。ポーズやイメージという「演出」次第でいくらでもカムフラージュが可能だからだ。必然的に、そこでは「悪」そのものの観念も相対化されていくことになる。

76-80

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