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神はダイスを遊ばない

書誌

author森巣博
publisher新潮文庫
yearH15
price670+tax
isbn4-10-128431-8

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
?読了
2010.12.8公開
2010.12.8修正
2010.12.10修正

著者の名前だけで本を買ってしまう人というのも最近は減った気がするが、いうまでもなく森巣博は別である。(とはいえ最近はいまいちな感じもしないではないけれど。)当然ながら氏のギャンブル小説は圧倒的におもしろい。本書もその例外ではない。老若男女お勧めである。

抄録

14

それを何よりも如実に物語っているのが、じつはパッカーは二つのメジャーなカシノの大株主である、という事実だ。

賭人がカシノを叩ける(つまりカシノは損失をだす)と、パッカーが本気で信じているのであれば、彼はカシノへの出資などしないはずだ。一賭人としてカシノに挑戦し、カシノへの出資者たちを手痛く叩くことだろう。

カシノ賭博において賭人が負けるのは、その人の腕とか伎倆の問題ではない。数学的確率論的必然である。

カシノで採用されている種類のゲーム賭博は、そのような確率的配慮のうえで成立していると申しあげるしかない。

16

博奕では、九回負けてもいい。一回だけ勝てればよろしい。もっとも、その逆もまた真で、何回勝っても一回の敗北で死んでしまうのが、カシノで闘われる賭博というものだ。

17

ちょっと付け加えると、

「信じていたのに、騙された」

と言う人たちがよく居るのだが、これは論理的整合性を欠いた表現である。「信じる」という行為は、「騙される」というリスクを受容することである。

22

いや、むしろ、ラスヴェガス在の諸カシノに雇用されているディーラーなどは、基本給がすくなくて、客が残していくティップがその生活の重要な収入源となっている場合が多い。これは、パリの著名レストランのウェイター、ウェイトレスと同じ位置に属する。

27 cf.28

いったい、どんな人がカシノのディーラーになれるのか ?

じつは、これは、誰でもなれる。犯罪歴がなく、十八歳(北米では二十一歳)を超した者になら、誰でも可能だ。必要とするものは、中学卒業程度の、ごく簡単な計算能力のみなのだから。

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