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現代人の読書
本のある生活

書誌

author紀田純一郎
publisher三一新書
year1964
price773
isbn0200-640435-2726

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
?読了
2012.5.3公開

現代人の?と銘打ってはいるが、何しろ1960年代の本であるからかなり古い。私自身が読んだのもかなり昔のことだが、著者の論旨も古典的な教養主義の否定など、内容的にも古すぎる。まあ、 岩波文庫の「読書子に寄す」が三木清の起草とは知らなかったが(cf.75)、さすがにPC全盛の今の時代では得るところも少なかった。

抄録

13

ヤスパースは大衆を定義して「実存なき現存、信仰なき迷信」と言った。この徹底して絶望的な現代の精神的状況を救うに、いかなるオピニオン・リーダーたりとも、さしあたり個人の自覚を促すこと以外に、何が出来るというのであろう。

15

読むべき本というのが、そのうち生まれてきた。これは背後に厖大な<読むべからざる本>が存在しはじめたことを意味している。

17 cf.18

-/-ラスキンがとっくに指摘しているように、現代の社会では読書の規律よりも、それ以前の規律が必要になっているのである。この期に及んでなお読書による人格形成を標榜するなら、それは「全体」を救うことではなく、「一人一人」を救うより方法がないのは自明の理である。-/-

23

端的に言えば、禍根は日本社会の後進性にある。すべてはここより発する。三木清によれば「教養主義とは明治時代における啓蒙思想の反動として起った」(『読書と人生』雪華社板。一九六三年再販)ものである。日本の近代化を早急に実現する必要から、世をあげての欧化思想が風靡すると同時に、自我の自覚を促す近代思想が流れ込んできた。ここに不幸なことは、自我の自覚が欧化思想の拙速性、感覚の粗雑ということにも責められるべき点はあるが、この時知識人のとった態度というものは、日本の近代史上にも例を見ぬ決定的な錯誤であった。

24

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