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道化的世界

書誌

author山口昌男
publisherちくま文庫
year1986
price560
isbn480-02035-7

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2001.9.16読了
2002.3.24公開
2002.3.25修正

著者による最初の道化論集。道化の肯定的評価というのが全体の骨子だが不思議な読後感がある。ただ、説明のために使われる文脈(バスター・キートン、エリック・サティ、人形劇、能 etc..)は予備知識がないと少しつらいものとなっており、これが道化のようなものを学術的に扱おうとするからそうなるのか、それとも著者の単なるスタイルなのかはよく分からなかった。ただ、そういう内容であるにもかかわらず、割と読み手を惹きつけてしまう部分があって、それが冒頭にいう「不思議な読後感」となっている。いい本なのか悪い本なのかさえ道化的にはぐらかされた印象のある本だった。

抄録

14

-/-「いたずら者」であることによって、彼自身がすでに常人の世界をはみだす存在であり、道化的役どころを演じることによって、道徳的非難を避け、ひたすらに盲人の神的演戯性の挑発に専念することができるからである。

18-19

別役氏は、昔、お祭りにおいてレプラ・梅毒・不具者などがお祭りの最も華かな部分を背負っていたとして、乞食の居なくなった世界を我々は創り出したことを指摘する。というのは、これは生活水準の向上や、不具者の消えたことを意味するものでもない。我々の住んでいる世界の寛容さの欠如がそうさせているのであり、人間がトータルに人間を見る技術を失って来ていることに由来していると説く。不幸な人々を乞食として許容し、そこに参加する人々がそれに同情し、金を与えることに何の疑いをも持たないのは健康な世界の徴しであるとする。ここには人間のトータルな在り方を許容して、そのトータルな在り方を前提として成り立つ交感の上で、金を介するコミュニケーションが成り立ったというのが氏の論理を延長したところにある世界・宇宙感覚であろう。我々の世界では、不具者を、人目から遠ざけ、より狭い空間に押し籠め、その欠けた部分で、宇宙の欠けた部分を補う機会を奪っているともいえるだろう。-/-

23

私が、この数年来、多少厭きられながらも、しつこく説いた、道化的な「知」とは、こういった、平板化し、通俗化したヒューマニズムの鍛えなおしのための方法論なのであり、既成の感性、あるいは叙述のスタイルの持ち主の顰蹙を買うような大胆な「知」の組みかえのためのモデルの提示なのであった。cf.287

27-28

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