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ふところ手帖

書誌

author子母澤寛
publisher中公文庫
year1975
price300
isbn12-200243-5

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002.1.20読了
2002.2.17公開
2002.2.18修正

著者を代表する随筆集。子母澤寛(本名:梅谷松太郎)といえば他にいくらでも有名な作品はあるが、気分的にあっさりしたものを読みたかったので、この本を読んでみた。一読して驚かされたのは、おもしろさはもちろんとして、その文章のうまさである。不自然さがちっともなく、それでいて冗長さを感じさせない。読んでいて清々しいのだ。これはすごいものだと思って解説を読むと、原因は読売新聞記者時代に築かれた綿密な調査による裏付けなのだという背景を知った。それゆえ、著者の本は時代小説というより一種のノンフィクションという方が正しく、だからこそ簡潔な表現の中にも説得力が宿っているのだろう。これに垢抜けた会話の様などが加わることで、独特の雰囲気を作り出すことに成功しているのだと思う。(もちろん昭和初期の幕末維新期に対する回顧熱という時代背景も関係している。)

また、扱う人物を見ても「維新の時、あの時にぱっと世の勢にのって出て来た人間よりは、置き残されて埋れて終った人達の方が、本当は人間として温い、そして清純なものではなかったかとよく思う。だから旗本や御家人の零落して全く市井に埋れた人達が妙に好きだ」(p225)という感じで、著者の人柄を感じさせる。ぜひとも、次は長編を読まねばならぬと思った。

抄録

10-11

(男谷:唯野注)下総守は、刀は必ず利鈍を試してから佩用していた。尤も昔の心得ある侍は、必ず刀の目ききを修行して、一見その真価がわかる程にはなっている。

下総守という人は、二十の時に、叔父の彦四郎思孝(号燕斎)の次女お鶴というものの婿養子となっていて、後年その絶妙の剣技と共に人格者として知られるに至ったが、実家にあってまだ新太郎といっていた頃は相当な暴れ者で、良く盛り場などへ出て行っては喧嘩をして廻った。

この暴れ者時代の相棒は勝海舟のおやじ小吉で、一族の間でこの人のことを「柄のぬけた肥びしゃく」と綽名していた。何んとも手がつけられぬという意味であった。

18

大体、下総守という人は荒い勝負は嫌いだった。その頃は滅多に他流試合などは無い時代だが、望む者があれば快くこれを承諾して竹刀をとった。が、三本勝負の中に、必ず一本は対手にとらせる。そして二本は、実に気軽にぽんぽんと取って終うのである。-/-

24

とにかく(男谷:唯野注)精一郎は腕も偉かったが人間が出来ていた。人間そのものの真髄が剣に現れて来て、先ず古今の名剣士といわれる。非常な読書家であった。「兵法起請文前書」の肩印に「読書撃剣」という印が押してある。読書はむしろ剣に先んずるという考えであったかも知れない。

39

この時分の、斬(こ)うした低い御家人の伝習生は、真剣にやればやる程本を買ったり、実習用の器械を買ったりするために、どうも然るべき援助者が無くては、うまく行かないものらしく、勝海舟に浜口梧陵、嘉納治作、竹川竹斎があったように、釜さん(榎本武揚のこと:唯野注)も田島(通詩、長崎の商人:唯野注)によって大いに救われた。

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