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マシアス・ギリの失脚

書誌

author池澤夏樹
publisher新潮文庫
year1996
price720
isbn10-131815-8

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
1998.10.1x読了
1998.10.30公開
2001.4.16修正

混沌がバランスを持ちながら存在している文学作品。テーマにあるのは巻末の解説にもあるように、個人の意志とそれを超えた意志との間の問題を、ナビダート共和国大統領マシアス・ギリが失脚する過程から問うていくというものである。何が大統領失脚の予兆であり、どこまでが個人の意志の範疇であり、どこまでが必然のできごとであったのか... いや、このような詮索は意味のないことなのだろう。なぜならば作者もそれを作中で答えてはいないし、それは*作品全体*にとってみれば部分の問題に過ぎないからである。

それはとにかくとして、ギリは政治家(公)としての自分と個人(個)としての自分との間で常に苦悩する。いつでも自問をして自分の行いの正当性を考える。それは、南太平洋の小国を統べる人物として、大国を利用しようとする立場に対してということだ。そして、彼はそれを正しいと結論付ければこそ、日本寄りの政策を取ってきた。むろん、彼は悪徳政治家としての自分ではないと思っている。しかし、彼はある時点で、あまりにも政治家として政治的にありすぎようとしたのかもしれない。その是非も分からない。しかしながら、そのときから亡霊や巫女たちは意味ありげな言葉を紡ぎだし、日本からの慰霊団のバスは姿を消し、彼にとっての偶然は偶然でなくなりはじめるのである。そういった中で彼は大統領としてではない、群衆の中の名のないひとりとして還元されていく体験をする。そして、彼はそこである種の安心を見い出すが... その後、通知がもたらされ、自ら(本当にそうなのかは一考が必要だろう)辞職を決意したとき、まさに物語はそれを待っていたかのように予言を成就させてしまう。彼がそれを自分で受け入れていく過程...これがこの物語で最も解釈に富んだ部分だろう。

一方、物語には南洋作家としての著者の面目躍如たる記述も数多く登場している。大戦中の日本とのかかわりを含めた政治的、経済的な記述も多く、そういう向きでの読み解きも可能である。また、亡霊や巫女の登場する辺りは私の好きなラテン文学的な雰囲気が強くて大変に良かった。それゆえ、かなりの長編作品ではあるが、読者はバスの失踪以降、独特のバスリポートを交えながらこれら多様な要素の全てを読み進めることになる。それが解説にもあるような読み手にとっての「物語としての多様な期待感」へとつながっていくだけのものとしているのは作者の力量だろう。つまりは、部分と全体とがどちらの立場からも読み解くことが可能であり、そしてバスの失踪原因と主題は別なのだという意外な展開が、独特の読後感にまでつながっているのだということである。

抄録

31

-/-怒る姿勢を世間に見せることは必要だが、しかしそれと彼自身が怒ることは違う。-/-対象ではなく行為に政治的な意味がある。理不尽かもしれないが、効果的だ。-/-

33-34

しかし、今の世界では他の国々との交渉を一切断って、内部だけで、物質的にも精神的にも、自給自足で生きることは国にも個人にも許されない。それが可能なほどわれわれの地球は広くないし、未知の部分も擁していない。勝手に自分たちだけで生きますと言ったところで、お節介な先進諸国はそれでは大変だろうなどと親切そうに言いながら、なんとしてでも勢力下に納めようとする。

49

そういう言葉で自分の像を作り、それを他人に押しつける。自分が先が長くないなどとは露ほども思っていないのに、そういう台詞を口にしてみる。-/-

67

-/-毎日百人に会うがそのうちの九十九人のことは忘れてしまう。それでも相手の方が覚えておいてくれる。それが大統領という最高地位の効果だ。-/-

70

「あの国(日本:唯野注)の人たち、全体としてはエゴイストなのに、一人一人は弱気だから」-/-

cf.71

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