ホーム > 読んだ >

ご臨終メディア
質問しないマスコミと一人で考えない日本人

書誌

author森達也/森巣博
publisher集英社新書
year2005
price680+tax
isbn4-08-720314-X

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2008.01.08読了
2010.11.22公開
2010.11.228修正

著者ふたりが魅力的だったので買った本。ただ、そうはいっても現在のマスメディアをめぐる問題の多くは過去から指摘され続けている通りであるし、そういう意味での目新しさには乏しい感じがした。むしろ同じ問題を2000年前後の状況に照らし合わせて再度提起したという感じが強いものになっている。著者たちもいうように、メディア、もっといえば戦後日本のひとつの転換点と呼べるのが 95 年の阪神大震災、オウム事件にあったのは私も事実だと思う。

インターネットが従来のマスメディアでは伝えてこなかったものを上手く伝えてくれる時代は来るのだろうか ? さすがに私もそこまで楽観的なことを盲信するつもりはないが、既存メディアに対する一種の外圧くらいにはなってほしいと思う。

抄録

9/10-11 森巣

現在の高度資本制社会??言葉は嫌いなんですけど、いわゆる文明社会というものは、明らかに善意を前提として成立しています。

ところが、レーガン、サッチャー、中曽根が政権を握った時代からだと思うのですが、善意を利用する、または、私益化するという政策が、恣意的に採用されました。その一つが、いわゆる民営化です。

たとえば、電電公社の民営化が行われ、NTTの株を買った人たちがいます。私の定義ですと、民営化とは、国民がすでに持っているものを、さらに金を出させて買わせるという政策です。レーガン、サッチャー、中曽根の経済政策の基本にあったのは、利潤の私有化、費用の社会化(Privatilizing Profit, Socializing Cost)でした。この時期から、為政者の善意が露骨に消えたと考えます。

12-13 森巣

憲法二一条が保障する言論の自由を考えてみると、多数者や権力者の言論や主張の自由を保証する必要はない。なぜかというと、その保証というのものが、すでになされているからこそ主流なわけです。言論、報道、表現の自由といった場合、保障されるべきは、異端の、あるいは少数者のものではないかと考えます。

15 森 cf.16

なぜならば自らが中立公正だとの思い込みは、絶対的な正義に短絡する場合が多いのです。同時に恣意的に設定された座標軸への懐疑を失うことで、時の為政者や権力、あるいは暴走する民意に、抗う力も失ってしまいます。-/-

ただし僕は、ジャーナリズムについて言えば、客観や中立性を標榜する姿勢そのものは否定しません。できるかぎりは客観的に、中立公正であろうとするそのベクトルは必要です。

17 森

全文を読まれる場合はログインしてください


Up