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広場の孤独

書誌

author堀田善衛
publisher新潮文庫
year1953
price140
isbn108701-Y

履歴

editor唯野
2000.9.12読了
2000.9.13公開
2001.5.21修正

堀田善衛の芥川賞受賞作(1952)。朝鮮戦争という世相を背後に置きながら、その中での日本人としてのアイデンティティや生き方、もっといえば国家と個人の関係といったものを登場人物たちの生き様から問うている。作品の時代が時代だけに私のような若輩者には理解の難しいところ(「党員なのか」といったような下り)もあったが、恐らく漂泊の...ある意味での根無し草のような日本人の姿としては今日にも通じる何かがあるのかもしれない。本作の最も解釈に揺れるところ、読み甲斐につながっているのは主人公が海外で暮らせるだけの金を手にしながら、それを焼いてしまう部分にある。作中の言葉を借りるならば、人は(社会だってそうだろうが)必ず何かしらの意味で何かに「コミット」せざるを得ない。時代や社会が不透明なとき、個人は何を拠りどころとしてコミットするものを選ぶのか。本書では、そういう主体性(解説によれば責任)への目覚めという段階で物語も終わっているのだが、このテーマが著者にとって終生の問いになっているのは周知の通りである。

主要登場人物

木垣 主人公。臨時で反動系の新聞社に務める
ハワード・ハント OA 通信記者。単身赴任のかたちで世界を転々とする
張(チャン) 同じくジャーナリスト。家族とは上海で分かれ離れ
御国 木垣の同僚。党員
バロン・ティルピッツ 元オーストリア貴族の貿易商。祖国を失った男
京子 木垣の妻

抄録

23

既にこの人たちは一歩踏み出し(コミット)、不吉なメロディに乗ってしまっているのではないか、と木垣はぴくぴく動く裸男の巨大な背中の筋肉を見ながら、暗い気持になっていった。最大の不幸は、最大のニュースなのだ。しかも最大の不幸のうちでも時間的に最も永続性があり、変化に富むものは戦争である。

47-48

-/-そのノガミというのは、どうやら無表情な男の名前ではなくて、上野を反対にして野上(ノガミ)と読む、上野地下道の出身という意味らしかった。-/-

野上という言葉の意味は地下道だったのか。阿佐田哲也の『麻雀放浪記』に登場するドサ健は自分のことを野上の健といって啖呵を切っているわけだが、どうもこの意味が以前から分からなかった。上野の逆なのは分かるが、それ以上の言外の意味が理解できなかったからである。そういえば、女衒なんて言葉を覚えたのもこの本だったような。

67

-/-しかしわしは死にたくない。もちろんこれはいつ死んでもいいという意味でもある。だからわしは動乱が起って人間の新しい血の流れるところへ来て身を温める。動乱、それはつまりわし自身なのだ。もう一度云いかえれば、動乱や革命は、人間的理由に始まって非人間的結果を生む。わしはその結果なのだ。動乱や革命の、非人間的な結果のなかに、なおかつ人間的なものをつくり上げようとする、見方によっては徒らな努力、その努力自体の中にしか現代の希望はない。……わしはそれを現場近くで見ていたい。-/-

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