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私の手が語る

書誌

author本田宗一郎
publisher講談社文庫
year1985
price440
isbn6-183453-3

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002.autumn読了
2002.12.16公開
2002.12.16修正

本田宗一郎の本だが、ためになるところの多い内容だった。私はこの手の内容のものを押し付けがましく聞かされたりするのが嫌いだが、こういう実際にそうやって生きてきた人の言葉には説得力がこもっている。だから、それなら自分からでも読んでみようかという気持ちにもなる。そして、実際に読んでもためになるというわけで、年齢を問わず、恐らく中高生くらいの人なんかが読むと得るところも更に大きいのではないかという感じがした。「ゆとりの教育」だとかいう前に、このような本を渡した方が早いように思うのは私だけだろうか。

抄録

18

-/-簡単にギブアップするということを、われわれはやらなかった。

「それは、ムリでしょう」とか、「おそらくダメでしょう」といった言葉は、

「やってみもせんで、何をいっとるか」

という一喝でけしとんでしまう。一見ムリなものが、ああやってだめならこうやってみろいうねばりの前に可能性をもちはじめてくるのである。

24

人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになることができる人である。相手が少人数でも、あるいは多くの人びとであっても、その人たちの気持ちになりうる人でなければならない。

そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩まない人は、他人を動かすことができない。私はそう思っている。自分が悩んだことのない人は、まず、人を動かすことはできない。

28

自分は、これまで思いきり生きてきた。とくに過去をふり返ることなく、つねに現在と未来に顔を向けてひた走りに走ってきたといってよい。cf.35

30/30-31

これは企業の体質にとってたいへんな問題である。目先の成績にこだわり、独自の哲学にもとづく創意をすこしでも放棄するような考え方が生まれたとき、企業は転落と崩壊の道をたどりはじめるだろう。

この、安易な模倣と同じく、企業にとって危険なのは、ごまかしの体質である。-/-

あとひとつ、企業の体質をあやういものにするのは依頼心である。技術を例にとると、故障や不具合な点について、この故障は電気系統だと思うと、ろくにいじりもしないで、これは電気屋だと電気関係の技術者を呼んできて、自分は知らん顔をする。

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