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翻訳語成立事情

書誌

author柳父章
publisher岩波新書
year1982
price480
isbn0-420189-6

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002読了
2003.11.25公開
2003.11.26修正

書名の通りの本だが、なかなかの好著。本書は今では我々にとって当り前のように使われている 10 の言葉を取り上げ、特に明治期の人々が西欧の新しい概念をどう新しい言葉として置き換えたのか、在来の語にどのような経緯で新たな意味を付与したのかという視点に立つ興味深い考察を行っている。そしてそれは、筆者の指摘する通り、意外にほとんど知られていないことである。

本書では前者の例として社会、個人、近代、美、恋愛、存在を、後者の例として自然、権利、自由、彼(彼女)を取り上げているが、いずれも新しい言葉というものがそう単純にできてきたわけではないこと、それが社会や人々の意識によっても影響されている側面のあることを知ることができる。この手の話題が出ると、これらの学問用語が日常語とは乖離している一方、そのような言葉の用意されたことで日本の急速な近代化が成功したのだというようなこともよく引き合いに出されるが、本書はそれを更に一歩踏み込んでいる。つまり、翻訳語には意味の分からない側面があったからこそ好んで使われたのだという一見矛盾するような側面についてである。

本書は岩波新書でも黄版の本なのでもう古い本に属するが、独立して古本屋で探してみるだけの価値がある一冊だと思う。

抄録

3

しかし、かつて society ということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、society に相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、society に対応するような現実が日本になかった、ということである。cf.6/69/89

8

今日、私たちが society を「社会」と訳すときは、その意味についてあまり考えないでも、いわばことばの意味をこの翻訳語に委ね、訳者は、意味についての責任を免除されたように使ってしまうことができる。もちろん、ことばの使用者は、その使うことばの意味を、いつもよく考えていなければならないわけではない。が、かつて、society に相当する日本語はなかったのである。そして society に相当する伝来の日本語がたとえなくても、「社会」という翻訳語がいったん生まれると、society と機械的に置き換えることが可能なことばとして、使用者はその意味について責任免除されて使うことができるようになる。

13

ミルのこの書(J.S.ミルの『自由論』のこと:唯野注)のテーマは、もちろん第一に liberty すなわち今日言う「自由」である。が、その「自由」の対立者、敵対者が何であるかも、同書の重要なテーマであった。

ミルにとって、liberty の、同書における最大の対立者は society であった。かつての、政治権力が liberty の対立者であった時代は、先進国イギリスでは、いくたびかの政治革命を通過して、一応過ぎていた。liberty に対立するものとして society に着眼したことは、ミルの発見であり、新しい時代の先覚者としての業績でもあった。

19

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