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パソコンを疑う

書誌

author岩谷宏
publisher講談社現代新書
year1997
price640
isbn6-149367-1

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
1998.autumn読了
1999.1.24公開
2000.2.25修正

著者はCマガやSD誌にも連載を持っている人であるから、ご存知の方も多いと思われる。本書はひとことでいってしまえば、オープンソース礼賛の書である。だから、それなりのコンピュータ歴をお持の方であれば、そういう意味での新鮮味はあまりないといえなくもない。内容の多くは初心者向けのOS機能解説に当てられており、そこから本来のコンピュータにとってのソフトウェアに求められるべき姿というものが説かれている。

それで私自身としては、大意は納得できるものの、別に今のコンピュータでもいい部分はいい部分としてあるのではないか...と感じているので、OSが悪名高きビルGのWindowsであろうとも、ユーザがそれを使ってそのユーザなりの望む結果を得られてさえいるのであれば、それはそれでいいのではないか??と考えている。むろん、私はPCがあくまでもユーザ本位のものであるべきだという点であるとか、PCが今後も様々な方向に(PC以外のかたちも含め)進化していくであろう点などでは大いに同感であり異論はない。

しかしながら、ここで私はまさしくPCがユーザにとっての道具に過ぎないのであれば、これを突き詰めて考えたときには、その時点では最終的にOSが何であるのかさえも重要ではなくなってくるように考える。本書でも指摘されているように最も重要なのは「何のために使うのか」というユーザの目的意識なのであって、そういう目的意識という観点を第一にするのであれば「Windowsは悪くLinuxは良い」とばかりを一概にいうこと自体ができないと思うからだ。両者には得手不得手があり、商用/非商用の違いにもそれは存在する。だとすれば、我々が本当に身に付けるべきは、そういう実装の良し悪しをも超えて自らの目的意識から手段(としてのPCなりOS)を選択していくことのできる能力というべきではないだろうか。というのも、筆者の論理はそれが現実にマイナス面を持っていたとしても、それ自体が「先にWindows批判ありき」という意味ではWindowsに依拠してしまっているというか、オープンソースという目的から見た論点先取、善悪二元論に見えてしまうからである。

仮に将来、オープンソース運動が大きなムーブメントとなり、LinuxがWindowsに取って替わるということがあったとしても、Linuxが主流だからという理由でOSを選択しているのでは意味がない。それでは、Linuxも第二のWindowsにしかなりえないように思う。個人的には、Linuxの商用利用が脚光を浴びる中にあって、オープンソースとしてのLinuxが、将来にわたっても、それ以外のソフトウェアに対する批判勢力・対抗勢力として力を持ち続けること方のが重要なのではないかと思う。

抄録

14/74/144-145

「パソコンが簡単」という売り文句は嘘で、パソコンの難しいはソフトの扱いが難しいということ。

ユーザの多様性をブラックボックスによって覆い隠しているのが現在のコンピュータであり、それに対する方便が「パソコンは難しい」である。車もコンピュータに比較すれば単一機能品である。

16/18

ソフトウェアこそは(ハードウェアと違って)個々のユーザのニーズに基づいて作られなければならない。

他人の作ったソフトウェアに合わせてコンピュータを操るのは間違っている。そして、情報処理技術者の多くは、そういったニーズを関知しようとしない。

21/29

プロのプログラマとは淘汰されるべき存在。

今後は、専門のコーダ(コーディングだけをする人)が主流となるべきである。

??しかしながら、コンピュータの専門分化とニーズの多様性という溝は埋まるのだろうか ? (唯野)

35/43/51

高性能化と高速化は違うことである。必要以上の後者を売り物にすることで商売をしている現在の業界。

??これは同感。PenIIマシンなどでなくともPentiumクラスのマシンで十分に一通りのPCとしての用途は満足できる。(唯野)

59/71/81

Windowsの持つブラックボックスな点への批判。ソフトウェアが持つバグへの耐久力に絡めた指摘。

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