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隠された十字架
法隆寺論

書誌

author梅原猛
publisher新潮文庫
year1981
price520
isbn4-10-124401-4

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
?読了
2013.6.8公開

とにかく昔に読んだ本で確か相応にベストセラーになった本ではなかったかと思う。今、私は昔の雑誌類を端から自炊して電子化しているが、末期の朝日ジャーナルを見ていたら、この人の連載があった。右傾化したイメージしかなかったのだが、確かに本書を読むと割と既存のシステムに対して批判的な文章も見られるし、何だか時の流れというものを感じてしまった次第。まあ、それを言いだせば、朝日ジャーナルなんて雑誌のあったこと自体が時代の流れか... 奇しくもあの雑誌が90年代初頭という冷戦終結後に廃刊となったのも、今更ながらに、これも時の流れだったのかと思う。

それはともかく、日本の古代史の解釈という意味では、単なる教科書的な記述ではないという意味で(特にそういう知見のない人にとっては)、今でも割と読み応えのある一冊だと思う。ちなみに本書が説く「法隆寺 = 聖徳太子の鎮魂のための寺」という説の端緒は冒頭に以下のようにある通りである。

それは一九七〇年の四月のある日であった。私は何げなく天平十九年(七四七)に書かれた法隆寺の『資材帳』を読んでいた。そこで私は巨勢徳太(こせのとこた)が孝徳天皇に頼んで、法隆寺へ食封(へひと)三百戸を給わっているのを見た。巨勢徳太というのは、かつて法隆寺をとりかこみ、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)はじめ、聖徳太子一族二十五人を虐殺した当の本人ではないか。その男が、どうして法隆寺に食封を寄附する必要があるのか。日本の歴史を少しかじったものとして私は知っていた。日本において、多く勝者は自らの手で葬った死者を、同じ手でうやうやしく神とまつり、その葬られた前代の支配者の霊の鎮魂こそ、次の時代の支配者の大きな政治的、宗教的課題であることを。私はここに日本の神まつりのもっとも根本的な意味があると思っていた。

抄録

7-8

そのことは法隆寺にかんする研究にばかりあてはまるものではない。日本の古代学の全体の欠陥なのである。現代において、すべての学問は分業の方向をたどっている。美術史学にしても、ある学者は彫刻のみを、ある学者は建築のみを研究する。それによってたしかに学問は、より精密になり、より正確になるが、同時に全体的な視野を見失いやすい。ゼーデルマイヤーのいう中心の喪失が、現代文化の運命であろうが、そういう中心を喪失した文化の中に生き、中心を喪失した分業化された学問になれているわれわれは、中心が厳然として存在し、その中心によってすべてのものが統一され、すべてのものが意味を与えられていた時代の文化遺産を研究する場合にも、中心を喪失した学問によって、よく理解することが出来ると考えているのである。

59-60 cf.62

私は柳田・折口学によって一つのことを学ぶ。日本において昔から個人で神になるのはほとんど不幸な死に方をした人であることを。不幸な死に方をした人のみが、日本では神に祭られることが出来る。神武天皇や、天武天皇や、桓武天皇は、明治時代になるまで神に祭られなかった。神に祭られたのは、菅原道真や崇徳上皇や後醍醐天皇など、いずれも恨みをのんで死んでいった人のみである。とすると、ここで聖徳太子という個人が祭られているのはどういうわけか、聖徳太子は、恨みをのんで死んでいったわけではない。けれど、その子山背大兄皇子はじめ彼の子孫は絶滅した。しかも、彼等は何の罪もなかったのである。もし太子の霊が一族の絶滅を聞いたなら、安らかに成仏出来ない霊であったにちがいない。その意味で太子の霊は、菅原道真や崇徳上皇や後醍醐天皇の霊と同じ性格をもっているのである。

79-80

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