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神の火 (全2冊)

書誌

author高村薫
publisher新潮文庫
year1995
price各\590
isbn10-134712-3

履歴

editor唯野
2000.6.20読了
2000.6.25公開
2000.6.25修正

というわけで高村薫の本です。話としては 『黄金を抱いて翔べ』 にも近い、裏の社会を主題とした物語で、公安とか北とかそういう要素が今回もたっぷり入っています。もちろん、初めから尾行などが当り前の、そして冷戦後のスパイの生き様を扱った本です。それぞれの登場人物たちが時代の変化の中で、過去の自分の生に対する落し前というか清算をつけていく。それが主人公にとっては「神の火」(プロメテウスの神話を下敷きにした、即ち「原子力の火」)であり、それが主人公を最後に自身の命を懸けた無謀な計画へと導いていきます。物語は、二年前にその世界より足を洗ったはずの主人公がいつしか新しい陰謀に巻き込まれ、その結果、ある種の必然として上記のラストに向かっていくという内容です。全 2 冊の長編を一気に読ませる筆力はさすがで、今回も十分に作品を堪能させてもらいました。島田は最後に何から解放され自由を得たのか...それが本作のテーマといってよいでしょう。

ちなみに本書では上巻でコンピュータの話が出てきます(p.223 辺り)。具体的には UNIX のファイルを覗く場面で、おかげで(自分の詳しい分野での記述から)著者がどの程度の専門知識を元に作品を書いているのか類推する機会に恵まれました。結論からいうと「こんなものかな」という感じです。記述上は普通で特別に専門的な...という記述ではなかったからです。もちろん、本書は UNIX が限られた世界でサーバ用として使われていた時期を扱っているので仕方がないのですが「こういう作品でもある種の陳腐化というものがあるのだろうか。それとも、やはりそれだけコンピュータの世界は変化が早いというべきなのだろうか」と考えて少し個人的にも複雑な気持ちになりました。

主要登場人物

島田浩二
 主人公。母とロシア人宣教師とのハーフ。かつてソ連のスパイだった原子力技術者。
 cf. 上 136, 298 下 76, 223, 247, 273

<!--コードネーム《ゼノン》-->
島田誠二郎
 主人公の父。島田海運を興す。会社は弟の勲が継いでいる。cf.下 137

小阪雅彦
 ベティさん。島田の原研時代の同僚で現在は音海原発の原子炉主任技術者。
 cf. 上 172, 302

江口彰彦
 島田をこの世界に導いた人物。米ソの二重スパイとして生きてきた男。
 cf.上 26, 109 下 157-160, 296, 396

<!--コードネーム《ロラン》-->
日野草介
 島田の中学までの友人。最後まで行動を共にする。
 cf. 上 207, 373, 384-385 下 179, 226, 398

<!--柳瀬に貸しがある-->
高塚良
 パーヴェル・アレクセーイェヴィッチ・イェルギン。ロシアより密入国した若者。
 音海原発の建設工事に携わる。
 cf. 上 200-201, 367 下 197, 207

<!--チェルノブイリ出身-->
川端美奈子
 主人公が勤める小さな会社で経理を担当している。日野と面識がある。

ボリス
 ソビエト大使館のエージェント。しかしかつての力はない。cf. 上 317

ハロルド
 日本在住の CIA 工作員。cf. 下 171, 189

イリーナ
 かつて島田と接触のあった女スパイ。cf. 上 138-142

山村勝則
 冷戦時代に北やソ連とのパイプ役を務めた代議士。現在は野党国対委員長。
 cf. 下 193, 211

柳瀬律子
 日野の妻。北のスパイ。精神を病んでいる。cf. 上 371, 377

<!--「ぷらとん」の発端となった柳瀬の妹-->
柳瀬裕司
 律子の兄で日野の友人。原子力技術者。cf. 上 254-257, 379-380

<!--《トロイ》。江口とのつながりから《北》より原発製造資料を持ち出す。その後、それが原発脅迫マニュアルを木馬にした暗号名になる-->

抄録

上 173

-/-自分は、まだ何かに執着があるのか。この人生を少しでも愛しいと思っているのか。一ヵ月前ならおぞましさに鳥肌が立っていただろうことを、ちらりと考えて、島田は自分がたしかに少し変わり始めているのだと思った。それがどんなふうな変化であれ、島田の場合、変化は希望だった。希望へ向かう死というものもあるのだと、自分に言い聞かせてみる。

上 211

-/-他者に対する根本的な関心のなさ、自分の人生に対する無頓着、とあれこれ言葉が浮かんだ後、最後にふと、直感が飛躍した。そうだ、(島田と良の:唯野注)共通点は多分、残された時間の短さだ、と。

上 233

ミサイル一発が命中したら原子炉は壊れると、こともなげに言った良の言葉が、島田の胸を抉り続けていた。この地球が平和だと誰が言ったのか。軍事衛星が飛び交う地球の未来を、どこの誰が信じたというのか。自分の流してきた先端技術が軍事転用されているのを知りつつ、ミサイルを売買するような世界に貸したその手で、島田は原子炉を造ってきたのだった。そのことを、良にも自分自身にも説明する言葉はなかった。

下 33

科学技術の時代に生きているスパイが実は、縁起担ぎや、虫の知らせといった非科学的な気分に驚くほど打撃を受け、パニックに陥る。江口はそれを『良心の呵責の代償行為だ』と一蹴し、ボリスは『アルコールで捕える程度の、初歩的課題だ』と笑った。しかし、代償だろうが、初歩的課題だろうが、現に一つ一つ恐怖と懐疑が沈殿していくのを、この十数年、一日たりとも止めることは出来なかったのだった。どんなに『大丈夫、大丈夫』と自己暗示をかけても、いったん崩れ出したら、こんなものだ。

下 37

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