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高橋是清自伝 (全2冊)

書誌

author高橋是清
editor上野司(編)
publisher中公文庫
year1976
price440+400
isbn690032-Y(上巻)

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2001.3.24読了
2001.10.22公開
2002.2.18修正

昭和の金融恐慌を収束させニ・ニ六事件に倒れた高橋是清(1854-1936)の自伝。本書では 1905 の(日露戦争に伴う)公債を発行し終えて帰国するところまでが扱われている。そのため逆にいうと、政治家として活躍した後半生となる正金総裁(1906)、日銀総裁(1911)、政友会入党(1913)、原敬内閣での蔵相就任(1918)、原敬暗殺後の総理兼蔵相、政友会第 4 代総裁(1921)。更に護憲運動後の爵位を辞して代議士になってからの昭和 2 年金融恐慌における田中義一内閣蔵相としての収束、その後も蔵相として金輸出再禁止の断行ほか、そして 1936 の予算編成(岡田内閣)で軍部と対立し同年のニ・ニ六事件で凶弾に倒れるまでといった辺りは扱われていない。

とはいえ、この自伝は非常におもしろい。理由のひとつはもちろんその人生における波乱万丈ぶりもあるが、その磊落な生き様や失敗を積極的に糧にしていく姿勢など、今の我々にとっても学ぶべきところが多いからだろう。加えて官と民の双方を丁稚から経験して政治家として大成した辺りなど、今の二世政治家らの及ぶところではない。少し前に宮沢喜一が「平成の高橋是清」と呼ばれているのを見て、「成果で判断されるならばともかく、首相経験者が蔵相となっただけでそう呼ぶのは高橋是清に対して失礼ではないか ?」と思ったものだが(もちろん宏池会のための蔵相でしたけど)、この本を読んで改めてそう思った。圧巻なのは以下の部分である。

友人たちの中にはいろいろ親切に奔走してくれて、あるいは北海道庁とか某県の知事とか郡長とかに世話しようと再び官途につくことを勧めてくれたが、私はいずれも厚く親切を謝して断った。というのは、これまで私が官途についたのは衣食のためにしたのではない。今日まではいつでも官を辞して差支えないだけの用意があったのである。従って上官のいうことでももし間違っていて正しくないと思うたときは、敢然これと議論して憚るところがなかった。

しかるに今や私は衣食のために苦慮せねばならぬ身分となっている。到底以前のように精神的に国家に尽すことは出来ない。時によれば自分の意に合わないことでも、上官の命であればこれを聞くことを余儀なくされぬとも限らない。かかる境遇の下で官途につくことはよろしくないと考えた。(上巻 364)

(日銀で山陽鉄道の社長をすすめられて:唯野注)「それは意外なことを承ります。私は今度官界を断念して実業界に転ずるについては、丁稚小僧から叩き上げねばならぬと考えております。私はこれまで鉄道には何の経験も知識もありません。従って私は社長として過ちなくやって行く信念がありません。もし万一その職を恥かしめるようなことがあっては、推薦者たる貴方に御迷惑をかけるばかりでなく、私自身も信念なきにその地位に坐ることは良心が許しません。どうせ実業界にお出し下さるなら、やはり丁稚小僧から出して下さい」(下巻 14)

これには正直にいって、「今の時代にサラリーマンならいざしらず公務員になるという人で、いつでも辞めるだけの覚悟というか気概を持って仕事に就く人がどれほどいるのだろうか」という点で考えさせざる得なかった。もちろん、明治の激動の時代であるから個人が時代を動かしえるような要素はあったかもしれない。しかし、実際に(特に上巻では)上司と対立してよく職場を飛び出している。私にはなかなかこうはできないが、しかし仕事に対する姿勢では頭が下がるというか、自分もかくあらねばという感じで、とても勉強になった。

抄録

15/24-25/28/31/37/42/48/63

生まれてすぐに仙台藩の高橋家へ里子に出されたこと。江戸の仙台屋敷での暮らしと大童信太夫(しんだゆう)という時勢に明るかった人の要請で横浜へ出向き英語を学んだこと。当時「金の柱の銀行」と呼ばれていたバンキング・コーポレーション・オブ・ロンドン・インデヤ・アンド・チャイナでボーイとして働き、慶応 3 年(14 歳)のとき渡米する。しかし、船の中で旅費を全て酒に使ってしまうなど破天候なところがあったらしい。桑港(サンフランシスコ)では奴隷同然の売買契約にサインしてしまい、アメリカ人家庭で働くことになる。そして、その間に日本では明治維新が起こっていた。

42

「君は飲めるか」というから「うん飲める」といってともに杯を傾けた。私は「金の柱」にボーイをしていた時分から飲むことを覚えてすきになっていた。ところが先生いつも浴衣がけでいるから、酒場(バー)へ行って酒を買ってくるわけにいかぬ。それで君行って買って来ないかと私に酒の買い掛けを頼む、私は使賃だといっては飲む。その内にどうも人の酒ばかり飲んでいても旨くない。船に乗る時に、富田さんが小遣いにといって、鈴木と私にアメリカの二十ドル金貨を一枚ずつくれたので、三度に一度は、自分の金で買って飲む、すると、たちまち、それがなくなって、終いには酒を飲まない鈴木の金貨まで取上げて飲んでしまった。

65/77-78/92/99/105

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