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「モラル」の復権

書誌

author千石保
publisher1997
year千石保
priceサイマル出版会
isbn1997

履歴

editor唯野
1997.autumn読了
1998.9.17公開
2001.1.21修正

長らくノートに概要を書いたまま放置されていた本の一冊。珍しく図書館から借りた本であったため、書誌情報までがいい加減である。あまり、意味はないのかもしれないが、一応、このときのノートをデジタル化した。よって、以下は全て私なりの要旨の抜粋+意見以上のものではない。おかげで、今では何のつもりで書いたのかも忘れてしまっている箇所がある ^^;;

メモ (1)

記号論では何があってもおかしいことはない

好きなことを選ぶということ

「沈黙の螺旋モデル」 - 反対意見を表明しないことが、多数派に加わること = 正義の欠落

まじめ - ? - > モラル

やさしさ(=孤独を恐れる)の精神病理

(大人の子どもに対する)「いずれ分かる」 -> 実体の説明がない

「悲観 -> がんばろう」のサイン

倫理と合理性 <- 自己犠牲 (禁欲主義)

豊かさによるエゴの噴出 / 差違によるアイデンティティ

消費の記号(=差違)化 : (ロラン・バルト ->)ボードリヤール「消費社会の神話と構造」 -> 生産と消費の逆転(消費が先)

意味するものだけによる表現 (日本) -> 実体ではない
石の庭園 etc.. (観念的ということか ?:唯野注)

現実の完了 -> 潜在的な現実だけが残る
消費の目的化と循環化 : 究極の差違はない

記号行動 = 仮想空間 -> 悪の透明化 -> 法に反するもの / モラルに反するもの -> その間がフーコーのいうエチカ

肯定的価値観の増加(それだけの受け入れ =開放と解放) - 否定性の減少

違法性の認識 -> 倫理としての絶対悪

記号(シミュレーションである)と人間の関係は熱いものではない
記号=相対化なのか ?(唯野注)

冗談や愉快がいじめの温床になっている

悪の透明化と善悪の相対化とはどう違うのか
悪への自己免疫制を失う
それに禁欲主義・真理主義によるモラルでは対抗できない

売春と貧困の乖離 : 豊かな社会の売春とは?

新しい「楽しみ」 : 熱い関係で傷つくことへの危機感

メモ (2)

日本の社会で疑われることのなかった禁欲的自己犠牲と相互扶助
禁欲的自己犠牲 - 産業社会に必要な秩序を形成する / 一生懸命は報われる

上位文化の下位文化化 (神聖性の変貌 -> 教師と生徒のなれあい)
まじめをひやかす「冗談」人間がリーダーに
暴力と冗談の前に「沈黙の螺旋構造」が拡大する -> 好きなことを選ぶのに勇気がいる

教師 (学校文化・真理) - 生徒 (生徒文化・反抗) <- かつての構図
対立する背後には禁欲的真理を挟んでいた
ここに「社会化」の一線があった

「自分のため」(<-> 理念としての禁欲主義)に行動するのが教室・教科書で示唆される - 自制がきかない - 真理をいわない / 「まじめ」ではない

「まじめな人」「反抗的な人」-> 「冗談のうまい人」 - クラス支配者の変遷

賛成でも反対でもなく冗談として意見をいう -> ごまかせる意見

おたくの「普通」化 - 差違化とはどう相容れるのか ?

かつて日本では沈黙は「不同意」であった -> 沈黙の螺旋モデルでは逆転する
いじめの多いのは冗談・ユーモアがあり、明るいクラスだった - 教師の参加

日本人の自助-自立論に横たわる孤独を恐れる構造
アメリカなどでの子どもの頃からの一人で寝る習慣との差違 ?

孤独感(社会的孤独・情動的孤独) - 願望水準と達成水準の齟齬

ACは現実感のないVR状態に近い
友人が100人いるというのは実際的には仮想的なつながり

「生きる力」という言葉 - 生きがたい状態ではじめて効力を持つ

フーリー(シカゴ学派)の「鐘に映った自我」理論 - 自分の外見は鏡で見ることができる / 自分の自我を映す鏡は他人である -> 一次集団の重要性を指摘

「みんなに好かれる私」
G・H・ミード 「Iとme」 Iは他者に対する自分の反応 / meは他者の態度(=規範といってよいのか?:唯野注)のセット (ペルソナ)

社会的相互作用が自我を形成する
他者の眼差しで自分から自分を見る
他者の視線の取り込み

大沢真幸 : 自己内面で自己を審判する他者性の自己 : 第三者の審級 (つまりは権威性でミードのme概念につながる ?(唯野注)、著者はフーコーのエチカに近いという)

同じ志向性を持つピア・グループとして古典的なのが日本の内集団(MLも?:唯野注)

「情報二段流れ説」 今日では反論も多い
知った(一段)後で誰かが評価する(二段)行動が大きな意味を持つという考え
e.g. 選挙 / 誰々もしている など

ニーチェ「神(絶対的真理)は死んだ」 -> デリダ・ドゥルーズ (ポスト構造主義)
(デリダは同一性の根底に差違を遅延させる働きがあるといった)

同一性より差違性の重視される消費社会

混沌としてのリゾーム的構造

個人情報誌のとりもつ仲のモノから人への移行 (友達探し)
社会儀礼(実社会)の裏の人格(自分)の方が本物だという意識
ペルソナ性の高まりが本音の世界への願望を加速させる ?
変身願望・燃焼願望 - 友達募集の場では本音がいえる ?

新しい理念が生まれない -> 無党派属が生まれる
その流れへの疑問点は ?(唯野注)

競争社会から「降りる」ことの必要性

無党派 -> 第三者=無責任 : 選んだ結果に責任を持てるかどうか

万引きの記号論 : そこに善悪の基準はない
いじめは(熱い)けんかではない

宮台真司 : 工業化 -> 団地生活 -> 知らない者同士 -> 恥のない文化
道徳の崩壊 -> 社会扶助の前提の欠如 / 自己犠牲から自己充実へ
他人に自己犠牲を求めない = 自分が強くなくてはならない

父親の姿が出てこない日本の漫画・若者文化 e.g. エバ
父子関係の友達化 -> 教えるべき理念がない : 「思いやり」「権威性」の両面
「未来志向と損をしても正しいことをすべき」の併合

自由 <- 自助・自尊・勇気 <- モラルとして

宮台による「共同」の定義 - 同じ体験による共同 / 異質な他者による否定を前提とした共同
後者はルールの異なるものを共有範囲とすることで成立 e.g.国民国家

今日の日本では自己犠牲はマイナス価値
世界の歴史は欲望の自由と自己抑制の循環の歴史

理念とすべき人間像のない改革 : 平均的・平等主義的教育の限界
個人主義を理念とするのであれば、選択肢を多くする / 自己概念の発見をスタート地点に(自分は他人とどう違うか)
単なる復古主義では意味がない

差違化が大きな潮流 - 友人関係における大きな比重

明るくあることに意義を差し挟むことができない
ならば犠牲的友情の時代にはマイノリティは存在できたのか?(唯野注)

民主主義 : 自分が選んだから <- 責任
現行ではこの点が表面的だと思う(唯野注)

「好きだから」「選択できる」システム
高校のコース制・選択制
現行だと新学科は予算の獲得における壁がある

コース性移行の利点
単独選択に伴う目標を持った第一希望の生徒の入学
平均的ではない個性の尊重

今後は何かの意味での「おたく」社会
金よりも時間の重視 - プロテスタンティズムは禁欲的だった
いわゆる「やりがい」の重視ということか ? (唯野注)

無知も含めた規範意識・モラルの低下 -> 本人の自由の優先

「内なる監視機能」によるモラル(エチカ)の再形成
フーコー : パノプティコン(中央の監視塔)の権力論
人はいないが人を監視する

今の日本では監視するものがはっきりとしていない

誘惑を拒絶する勇気 : この勇気が好きなものを選び楽しむという自立と自尊を生む
志を持つことが新しいモラルの中心となるべきである

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