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無境界家族(ファミリー)

書誌

author森巣博
publisher集英社文庫
year2002
price533+tax
isbn4-08-747505-0

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
?.11.23読了
2013.12.15公開
2013.12.22修正

氏の著作の中では初期に類するもので、国際結婚をした著者が自身の家族のスタイルと合わせながら国歌・民族・文化を論じたものとなっている。そのため他書ほど博奕ネタの登場する頻度は低いものの、むしろ日本の国際化を考える意味では刺激のある一冊となっている。論旨も私に近いものだし、関心のある方にはぜひとも一読をおすすめしたい本である。要はこれだけグローバリゼーヨンが進んだ今日においては、国家・民族・文化などというくくりは意味を持たないのであり、そこに固執する方が滑稽だということである。

# 直前に読書ノートとして公開した 『無境界の人』に近い本です。

抄録

10

当たり前の話だが、人は、自らと自らを取り巻く環境とを観念によって固定化して捉えている。この固定化の過程が行き詰まり、なんらかの理由によって凝固・硬直しだすと、新しい現実に柔軟に対応できなくなる。

12

自らを無辜の位置に置くから、じつは説教というものが成立している、とわたしは考える。すなわち、他者の矛盾や不義や粗相を指摘、糾弾することによって、自分があたかもその矛盾、不義、粗相からまぬがれていると見なす想定があるからこそ、説教ができるのではなかろうか。

19-20

ただこの時に私が感心したのは、厳とした州の教育法があったにもかかわらず、誰もが平然とそれを無視した点だった。

州法で定められたとおりに、息子はハイスクールに通うべきであろう。ところが彼は二分の一くらいしか登校しない。それでは街で傾いているのかと思うと、そうではなくて、大学の授業に出席したりしている。そしてそれをハイスクールの側も承知している。それでも校長は何も言わない。

一方、大学では、正規の入学手続きを受けない学生を講師が講義室(シアター)に入れている。学部長もそれを知っているのだが、何も言わない。それも私立で、学長の裁量でだいたいのことが決定される大学の話ではないのだ。当時、オーストラリアには十九の公立大学があったのだが、そのうちのひとつなのである。-/-

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