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人間

書誌

author鎌田慧
publisherちくま文庫
year1993
price580
isbn4-480-02696-7

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
?.2.23読了
2014.11.29公開

鎌田慧のルポルタージュで、これも相当以前に読んだものであるが、今読んでみても全く古くない。むしろ、それでは以前と比べて、ここに取り上げられているような人たちの境遇がよくなったのか ? といわれれば、疑問の残るのが実情であり、格差の拡大などは新たな弱者を生み出しているのが事実であろう。

社会的弱者はその声を社会全体に対して発する力も弱いゆえに、差別や貧困のスパイラルに陥りやすい。そういう存在自体も埋もれがちな人びとを取り上げるためにルポルタージュがあるという著者の姿勢は全く正しいと思う。誰かを非難したり拒否するときに、「自分がそれをされる側だとしたら、そうされてどう思うか」という想像力の有無の差が、根本的な差別意識に対する行動の差にもなる。しかしながら、昨今のメディアにはこの種の配慮が少なく、弱者というよりも強者の論理のまかり通っていることが多い。

例えば、私が最近ネットで目にしたのは、Patagoniaというアウトドアウェアのメーカーが少し前に捕鯨反対を唱えるシーシェパードの支援をしているから許せない、という類の主張があった。私もシーシェパードの過激なやり方が正しいとは思わないが、一方で、その一事を以て同社の企業理念や地球環境に対する取り組みの全てを否定するのもおかしな話だと思う。それは、Appleがすばらしい製品を作り出すから、その製品がアジアの劣悪な環境で作られることまで許容されるわけではないのと同じである。そして、そこでの論理の飛躍を可能にするもの(一事を以て全否定・全肯定を可能にするもの)、それこそが強者の発想であり、弱者への配慮の欠如であり、差別の根源であると思う。

これは他の問題でも同様である。生活保護を不正に受給したり、働くことなく必要以上に要求するのはおかしい。しかしながら、それを本当に必要とする人たちまで否定されることはない。なぜなら、自分がそれに頼るしかない境遇になったときのことを考えてみればいい。または、在日外国人へのヘイトスピーチが許されるというのであれば、自分が海外で同じような存在否定をされても文句はいえないことになる。

本書では小卒で読み書きのできない人が登場するが、義務教育を当たり前のように受けてきた私自身を含む人間には、「そもそも我々の社会にはそんな人もいるのだ」ということ自体、このような本を手にしなければ知りえないところがある。ルポルタージュの第一の存在意義はそういうところにあると思うし、社会のセーフティネットに対する考え方というものも、そういう人々の存在を含めた中で考えられるべきだと思うのだが。

抄録

13

清掃事業は、収集、運搬、中間処理、終末処分、と分けられている。ゴミやし尿の収集に従事する作業員は、清掃事務所に出勤し、迎えにきた下請のクルマに乗って街に出発する。このほかに、ゴミを焼却する清掃工場、工場の残灰や不燃物のゴミを埋立て地に捨てる、特定事務事業所などの仕事がある。

21/22-23

美濃部革新都政のとき、清掃労働者の労働条件は飛躍的に向上した。しかし、賃金、労働時間、庁舎環境、被服品貸与などの、労働条件が向上したようには、社会的な差別意識は解消されていない。

-/-ところが、小学生ぐらいになると、そばを通り抜けるときに、鼻をつまんだりする。社会意識の反映である。

それでも、教室で、ゴミ収集が社会的に重要な仕事であることを教師が教えると、子どもたちの眼はちがったものになる。差別意識は、親の価値観の反映だったりするが、それでも、学校で教える内容によって変えることができる。だから、子どもたちをみるだけで、その学校でどういう教育をしているかがわかる、と彼がいう。

25

ゴミを捨てる側に、その後始末をする人間にたいする配慮が欠けていることも、事故の原因である。東京都では、知事部局の労災の九〇パーセントが清掃局で占められ、この一年間でも、組合員の九・六パーセントが被災した。

42

<とうそうがいちばんたのしかっただ>と彼女はいっていた。七歳から下積みの生活をつづけてきた彼女にとって、国家とむかいあったとき、一個の人間として国家と対等なものとしての自分を感じることができたのかもしれない。その自分の力の確信と解放感を、三里塚の農民たちのたたかいがつくりだしていたのだった。

63

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