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散文
私は生きるのを好きだった

書誌

author谷川俊太郎
publisher講談社+α文庫
year1998
price880+tax
isbn6-256240-5

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2001.6.27読了
2001.7.2公開
2001.7.16修正

谷川俊太郎のエッセイ集。副題なんかを見ると「こういうのを詩人の感性というのだろうか ?」と思ってしまったりもするが、よく分からない。但し、内容的には(刊年からだと分からないが)主に 1960 年前後の文章を収めたものになっている。

常に自分だけを対象外としない思考であるとか、ある種の決め付けへの懐疑、人間の弱さへの肯定というのが全体的な論調で、悪くいえば優柔不断だろうけども、それを正面から丁寧に説明・描写している点は独特な感じがした。詩人の文章を読むというのはこういうことなのだろうか... それが本を読み終えてからも残った思いだった。

抄録

19

ほんとは誰でも自分とつきあうのはたいへんなんじゃないか。ただたいへんなのを自分じゃなく、他人のせいにしてるだけじゃないか。たいへんな自分と出会うまでは、ほんとに自分と出合ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていくのも、ひとつの生きかたなのかもしれないけれど。

27

けれどもそんなふうに字句にこだわることはかえってこのたいへん人間的なことばを殺すだろう。手に入れてしまえば、<どうしてもほしいもの>はもう<ほしいもの>でなくなる。しかし<どうしてもほしい>と願ったその望みの強さと深さとは、人間の心にあとあとまで残るものである。とすれば、ほしい<もの>よりも、<どうしてもほしい>という願いのほうが、人間にとって大切なのではないかとも思えてくる。

31

というのも、近ごろは出来あいの思想がはびこっていて、ひとつのことを自分にひきつけて思いつめ、考えぬくという習慣がますます少なくなっているからである。

思想ということばがふたつの<おもう>の積み重ねでできているのはおもしろい。私には、ときにそれが思いつめることそのもののように思えることがある。今の平和な日本では一見、思想にはいのちが賭かっていないかのように見える。だがほんとうの思想には、それがどんな日常性の中にあれ、いのちが賭けられているのである。

34

しかし、おそろしさというものは、それが底なしであるとき、はじめてほんとうにおそろしくなるものではないでしょうか。一時的なおそろしさとは、ほんとうのおそろしさの名に値するとは思われません。-/-

50

若者はいつの世にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。

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