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説得
エホバの証人と輸血拒否事件

書誌

author大泉実成
publisher講談社文庫
year1992
price540
isbn6-185066-0

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
1998.5読了
1998.5-7公開
2002.4.9修正

エホバの証人の輸血拒否事件を追跡したルポルタージュ。とても示唆に富んだ一冊だった。本書では著者自身が事件に遭遇した家族らの参加するエホバの証人に加わることによって見えてくる証言を基に、輸血拒否現場に立ち会った複数の医師たちの発言なども織り交ぜながら、輸血拒否によって「死」という結果をもたらした事件の深層を解明しようとしている。しかし、本書から見えてくるのはそれだけではない。果たして新・新宗教とは内部から見ればどういうものであるのか。そもそも現代において宗教とは何なのか??この本は、まさしくそこまで考えさせられる一冊である。

さて、内容の検証に入る前に、ここでいう輸血拒否事件のあらましを整理しておくことにしよう。事件は 1985.6.6 に交通事故でケガを負った子どもに医師が治療の上で必要となる輸血の可否を両親に問い合わせたところ、エホバの証人の信者である両親がこれを拒否し、子どもはこの結果、亡くなったというものである(子どももエホバの証人の活動に参加していた)。そして、このときにマスコミで多義的に扱われた、子どもの発したとされる「生きたい」という言葉の検証というのが著者のルポルタージュの出発点となっている。

抄録

18 キリスト教と時間

キリスト教の神は、歴史を支配する神である。人類の創世から、最後の審判に至るまで、所詮は全知全能の神の掌の上で歴史が流れるというのだ。だから、生きてる間に神をどれだけ信じてどれだけ苦しい目に合っても(ママ)、最後には楽園で帳尻を合わせようというわけである。

これは、ある種の宗教的イデオロギーであれば何でもそうである。天皇制が元号という意味で、西暦がキリストの生誕という意味で時間をも支配していることと同じということだ。

24 事件当時のなだいなだのコメント

難しい問題です。でも、子供は親の所有物じゃない。私だったら、両親から訴えられるのを覚悟で輸血することでしょう。

これは最大公約数的というよりは、最もリアリティを持ち得るという意味での答えだろう。私自身が同じ立場でどうするのかを問われれば、少なくともこの意見を知った後である現時点では同じようにするに違いない。

cf.52-53

26-29 週刊文春 1985.6.20号における事件の経緯

1.

大君が未成年のため、さっそく、安藤医師(当直責任者)が両親に手術同意書へのサインを求めた。すると荒木夫妻はこう尋ねた。

「それは輸血の同意書でもあるんですか?」

大君の状態を調べた安藤医師は当然のように、

「出血がひどいので、輸血なしでは手術できません」と答えた。

ところが荒木夫妻は、自分達が「ものみの塔」の信者(エホバの証人)であることを告げて、

「輸血しないで、最善の方法をとってください」と言い始めた。「聖書はクリスチャンが血を取り入れること、生命を支えるために血を用いることを禁じている」から、信者としては、輸血を受け入れられないというのである。

2.

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