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論語物語

書誌

author下村湖人
publisher講談社学術文庫
year1981
price680
isbn6-158493-6

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002.2.3読了
2002.4.3公開
2002.6.3修正

書名の通り、論語の著名な挿話の類を独自にまとめ連作形式とした本。だから、この本では論語だからといって「子曰く...」と始まるわけでもなければ、原文追従の注解書というわけでもない。極めて孔子と弟子たちの日常に近いところのものを題材としつつ、その思想を語った本である。特に特徴的なのは、弟子たちを始めとする周りの登場人物たちが何かを悟ったように現れるのではなく、むしろその逆の非常に人間的な悩みを持つ存在として描かれている部分である。恐らく、それこそが、この本を有名なものとして広めた大きな理由なのではないかと思われる。

そのため、いいようによっては中学生くらいでも十分に読むことのできる内容といえる一方で、いうまでもなく大人にとっても読み応えのある極めて対象年齢の広い本ということがいえるように思う。個人的には、やはり中国古典の真髄のひとつはその漢文形式での簡潔さ(例えば、己の欲せざるところ、人に施すことなかれ etc..)にあるように感じているので、その点でいまいちの感はあったものの、論語という本の入門書としては現在でも意義のある内容だし好適といっていいだろう。

# 下村湖人(1884-1955)といえば『次郎物語』だが、実際に次男坊ということである。

抄録

4 (解説より)

『論語』の解説書は無数にあるが、自分の生活をかけて『論語』を読みつづけた人はめずらしい。湖人は、その一人である。だから本書は、あくまで湖人の『論語』であって、だれの『論語』でもない。そしてそういう読み方こそが、孔子の学問態度であった。湖人はそれを最も忠実に受けついだ者といえる。学ぶとは古聖人の道を祖述し、かつ実行することだ、というのが『論語』をつらぬく教えである。「論語読みの論語知らず」というのは、『論語』を単に言葉として学ぶ者のことである。

5 (序文より)

彼の門人たちも、彼にならって天の言葉を語ろうとした。しかし彼らの多くは結局、地の言葉しか語ることができなかった。なかには、天の響きをもって地の言葉を語ろうとする虚偽をすら、あえてする者がった。そこに彼らの弱さがある。そしてこの弱さは、人間が共通にもつ弱さである。われわれは、孔子の天の言葉によって教えられるとともに、彼らの地の言葉によって反省させられるところが非常に多い。

19

「-/-しかし、へつらうまい、驕るまいと気を使うのは、まだ君の心のどこかに、へつらう心や、驕る心が残っているからではあるまいかの」cf.218/228

21

芸術は手段ではない。同様に求道は処世術ではない。工匠が芸術に生きる喜びを持つように、求道者は道そのものを楽しむ心に生きなければならない。-/- cf.226

30

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