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新選組三部作
新選組始末記

書誌

author子母澤寛
publisher中公文庫
year1977
price380
isbn611193-Y

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002.7.12読了
2003.1.2公開
2003.1.10修正

子母澤寛の代表作のひとつで副題にもあるように全三部作である。今日でも新選組(新撰組という場合もあるが、肝心の近藤勇も状況に応じて使い分けていたのでこちらにしたと著者は始めに断っている)といえば、まず本書の名が挙げられるほどに、読み物としてだけでなく史料的にも評価の高い作品である。それは冒頭で著者が以下のように嘆いている通りであり、そこからも著者の姿勢をよく見て取ることができる。

この頃雑誌その他で近藤についての多くの記述を読む事は喜ばしい。しかし文献によらず生存故老の言によらず、或は死人に口なきを利用し、或は有りもせぬ筆写本などを有りと称し、或はその出典を明らかにせずして我論を張ると思わるる人も一ニある。私は読者と共に、その史実なりや、創作なりやを、見誤らざらんことを努めねばならぬのを悲しむ。(p.15) cf.107

個人的に全三部作を読んでの感想からいうと、第一作目である本作が最も網羅的であり話題にも富んでいるように思う。(やはり後続の作品は拾遺という印象から逃れることができない。)ちなみに、著者が子母澤寛という名前を使ったのは本書が最初で、それは当時、著者が大森の新井宿子母澤 1015 に住んでいたからだという。

抄録

17/18/20

近藤勇の流儀は天然理心流で、弟子でもある師範代が奥州白河を脱藩した沖田総司。若さにもかかわらず剣は天才的な名手だった。道場の生え抜きとして土方歳三、や井上源三郎、他に北辰一刀流の目録の藤堂平助、同じく免許の山南啓助などもいたが子児(子供)扱いだった。近藤自身は道場での立会は下星眼を使い、決して名人ではなかったが、せこせこしたところのない手堅い剣法だった。また、他流だったが、道場には松前脱藩の永倉新八(神道無念流)や、種田宝蔵院の槍を使う原田佐之助もよく来ていた。

18-19/22

天然理心流は遠江の近藤内蔵之助長裕(こんどうくらのすけながみち)が開いた。その後、武州奥多摩の門人である三助方昌(のりゆき)が養子となって 2 代目となり、これにも子供がいなかったので島崎周助邦武(くにたけ)に剣統を譲る。これが勇の養父である。長裕は江戸に道場を開いたが、方昌以降は八王子を中心とし、勇の時代にも門弟は 300 人を超えていた。また、勇や邦武の家はもともと百姓で、勇は 17 歳のとき養子に入った。それまでは宮川勝太と名乗っていた。

27/30/31

当時の不穏な情勢の中で松平上総守忠敏に浪士募集の献策を行い、密かに裏で糸を引いていたのが庄内藩清川村の郷士、清河八郎正明。武芸も学問もできた人だが、浪士は集めて取り締まるに限るというので、さっそく募集の沙汰が下りた。しかし、八郎は勤王で自分のために集められるものを集めておこうという魂胆である。

31/35/36/39/40/44

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