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東京焼盡

書誌

author内田百ケン
publisher中公文庫
year1978
price360
isbn690103-Z

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2002.11.14読了
2002.11.16公開
2002.11.29修正

百の S19.11.1 から S20.8.21 という太平洋戦争末期の時期の日記を本としたもの。空襲警報と食糧事情の悪化が日常と化した毎日を淡々と綴っているが、その中でも酒と煙草を手に入れては「難有し」と記す辺り、やはり人柄が感じられる。実際に百も空襲によって自宅を焼かれ、その後は二畳の小屋で戦後の初期までを過ごしている。漱石の初版本まで焼いてしまったのに、それでよく日記が残っていたものだが、これが作家の性というものなのだろうか。

なお、解説によると当時の百は戦争による執筆依頼の減少などにより、日本郵船、東亜交通公社、日本放送協会などでの嘱託が主な生活の基盤だったらしい。

余談だが、私も百は好きな作家のひとりだが、これまで読書ノートにして来なかったのは、昔、百の「」の字が変換できず「作家の名前さえちゃんと出ないのもなー」という先入観があったためである。ところが、今日、変換してみたらなぜかあっさり出てきたので、さっそく読書ノートにもしたという次第。もしかしたら、以前からも OK で私が勝手にできないと思い込んでいたのだろうか ? ちょっと謎である。

抄録

31

十二月二十一日木曜日。午過省線電車にて出社す。夕省線電車にて帰る。部屋の中野がまた国民酒場からお酒一合買つて来てくれた。今日は持ち帰りて飲む。夜暖かい寝床に這入りのびのびしかけた途端に警戒警報の警笛鳴りすぐ起きて身支度をした。九時十五分也。サーチライト輝き高射砲轟き、遥かの上空に火花の様な物がぴかぴかと明滅した。高射砲弾の炸裂するなる可し。九時五十分解除となり、そんな騒ぎだつたけれど空襲警報は鳴らなかつた。こなひだ内からさう云う風な事時時あり。あんまり程度の事なので警報を手加減してゐるのだらう。

日記中の典型的ともいえる一日を抜き出してみた。

96/242-243

考へて見るに、この頃は毎朝の新聞が面白い。特に B29 に関する記事は本気で読んで、こちらへ来るか来ないかの判断をする。眼光紙背に徹するの慨がある。ラヂオがこはれて聞かれぬ所為もあるが、新聞がつまらないと云ってゐた時分とは読む気持が違つてゐる。朝から寝る迄、寝てからも緊張してゐる。自然主義時代に云つた刺戟に生きる明け暮れであつて、驚きたいと云ふ願ひは常に充たされてゐる。何年か後になつて顧れば、あの時分の生活は張りがあつた、生き甲斐があつたと云ふ事になるかも知れない。敵の空襲がこはいのと、食べ物に苦労するのと、それだけであつて、後は案外気を遣はないのんきな生活である。-/-

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