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短篇小説講義

書誌

author筒井康隆
publisher岩波新書
year1990
price520
isbn0-430128-9

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2000.9.1読了
2000.9.3公開
2002.11.4修正

筒井康隆による今日的な短篇小説のあり方が説かれた本。著名作というよりはマイナー気味の作品群から、それぞれのエッセンスを取り出し全 10 講にわたって講義するという形式を取っている。とはいえ、全体からみると散逸的というか、ちょっとまとまりに欠ける感じがした。まあ、私自身の小説に対する読み込みが浅いといわれてしまえばそれまでなのであるが、もう少し掘り下げた説明をしてもよかったのではないかと思う。もちろん、全体を貫く「自由な形式としての小説」そして「それを現代においてどう実現すべきか」という論旨における乱れはない。しかしながら、「文脈の無視」や「時間や場所からの解放」自体がひとつの手法として相対化されてしまった現在の状況において、果たして技法を越えた「今という時代に符合する新しい短篇小説」は本当に生まれ得るのかといわれれば、私には疑問が残った。(というよりは、あまりにも難問のように思えた。)

抄録

4

-/-模範的な短篇小説が存在するということは、短篇小説を書く上での軌範があるということだ。しかし、これはおかしなことである。短篇小説に限らず、小説というものは、いうまでもなく、何を、どのように書いてもいい自由な文学形式なのだ。意外に思われる読者もおられようが、実は小説というのは最も新しい文芸ジャンルなのである。小説以前の詩や戯曲などの形式による拘束、それは即ち韻律だの三一致の法則(人物、場所、時間の一致。登場人物の数がある範囲内で一定であること。場所が一定であること。ある一定時間内に出来ごとが起り、終ること)だのといったものであるが、そうした形式上の束縛を嫌い、より自由に書こうとして生まれた文芸形式こそが小説だった筈なのである。

6-7

芸道化した短篇小説作法がお手本にしているのは、当然のことだが古今の名作とされている短篇小説であり、ここから短篇小説の二極分裂が始まった。はるか高みには短篇小説の神様とされている作家たちによって書かれた古今の名作が存在し、地上にはそれらをお稽古ごとのように学ぼうとする多くの作家志望者がいる。そして実はその間で、現代小説としての短篇小説そのものは次第に衰弱しつつあるのだ。

8-9

文壇における短篇小説軽視の流れ。そして評論家たちも「世界の複雑さに伴い長編によってしか世界を捉えることはできなくなった」という。

10

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