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テレビ体験

書誌

author筑紫哲也
publisher朝日文庫
year1988
price480
isbn2-260506-5

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2000.7.23読了
2000.8.15公開
2000.8.21修正

表題の通り、筑紫哲也によるテレビヘの関わり合いを中心としたエッセイ・評論の類をまとめた一冊。著者が朝日ジャーナルの編集長を務めた後にテレビの世界へと転進したのは今さらいうまでもないことであるが、本書を見るとやはりというか、それまでに氏がフィールドワークとしていた活字の世界に対する比較がそこかしこで触れられており興味深かった。それ以外にも本書には山口百恵に関するインタビューを通じた対談・社会事象への読み取り、最後に取り上げられている進歩的知識人に対する問いなど内容的にはバラエティに富んだものとなっている。ちなみに個人的には、その進歩的知識人に関する論考が最も刺激的だった。全般的にいって筑紫哲也という人は「若者」「新しい」というものを、よくいえば積極的、悪くいえば盲目的に受け入れている部分のある人だが(それへの理解のあることを示す態度が多いということ)、しかし見方によっては身内批判ともいえるこの一文は氏の最もリベラリストとしての部分を示しているともいえるように思った。

抄録

13/95/106/216

「偏向」というものは、それを見る立場によって違うもの。特にそれが既成事実の積み重ねによるものなのであれば、その反対点や問題点に注目することには意味がある。つまりは歯止めのためのジャーナリズム。そのための「知」。

16

番組が一社提供でなくなるとクレームは分散どころか、ほとんどゼロになってしまう。一点に焦点が定まらないとスポンサーには集中しなくなる。

17

新聞・雑誌といったマスメディアに比べて、テレビでは一方的で感情的な反応が多くなる。

20-21/215

社会問題は単純化して説明しさえすればよいというものではない。なぜなら社会が右傾化するにせよ何にせよ、その選択が浅薄でデマゴーグに近い単純理論で行われていくところにこそ問題があるといえるから。つまり、十分な議論も行われないまま、なし崩し的に物事の決まっていくことにこそ危険があるのではないかということ。「右傾化問題」で最も欠落しているのは、この点への問題意識である。

27/77

活字の世界が「個人」の作業であるのに対し、テレビの世界では常に「集団作業」となる。

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