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人生の教科書
よのなかのルール

書誌

author藤原和博、宮台真司
publisherちくま文庫
year2005
price950+tax
isbn4-480-42085-1

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2007.8.25読了
2017.4.4公開

学校では教えてくれない、法治国家ということの意味、商売におけるお金の動き、若者が逮捕されたときの流れ、結婚や死で必要となる手続き――などなどをざっくりと説明しながら、同時にこれまでの高度成長期までは通用した近代社会の概念が崩壊しつつある現代において、何を拠り所として生きていくべきか、というところまでを扱った本。著者を見れば分かるように社会学的なアプローチがされており、むしろこういう問題提起には都合がよいと思う。

大人が読んでもためになる本であるが、個人的には冒頭の法治国家ということの意味的な考察がなかなか面白かった。また、そこから考えれば当然の結論である「義務教育というのは子供が教育を受ける義務なのではなく、大人が子供に教育を受けさせる義務であり、子供が持っているのは教育を受けられる権利である」ということも、考えてみれば私自身それを改めて教わったことがない。

私としては社会人になる前に少なくとも『ナニワ金融道』は読んでおいた方が、何においても今の社会では最後はお金がついてまわる以上、リテラシーとして接しておくべきだと思うが、本書もそういう意味ではお金に限らず包括的にまとまっているのがよいのではないかと思った。

抄録

14

もはや「殺人」や「儲け」や「給料」や「離婚」や「自殺」を、学校教育のなかでタブー視してはならない。

19-20

-/-法律は、私たちがどんなときに司法権力を呼び出せるのかを決めています。障害に対する抵抗意思を表わす行動を司法権力に肩代りしてもらう代わりに、むやみに司法権力が呼び出されないようにしているとも言えるでしょう。

抵抗意思の表現を当事者に委ねる裁定者の段階(中世)では、裁定者が参考にするルールは、誰かが決めたものというよりも、先例の蓄積か(判例)、先例の蓄積から専門家が原則を抽出したもので(法典)、裁定者を含めて誰かが勝手に変えられませんでした。

ところが、司法権力の段階(近代)になると、社会が複雑になったことに応じて、ルールは手続きを通して変更できるようになってきます。この手続きを通したルール変更の活動を担うのが「立法権力」です。立法権力は君主だったり、議会だったりします。

それだけでなく、司法権力と立法権力を裏付けとし、あるいはそれに制約されて公的に行動する「行政権力」も登場します。いわゆる「政府」がそれです。行政権力が司法権力や立法権力を勝手に操れないのが三権分立で、議会が立法権力を担うのが民主制です。

21-22

-/-憲法は、あなたにではなく、統治権力=国家に命令しているのです。思想・信条で人を差別していけないのは、あなたにではなく、国家です。逆にいえば、憲法で保障された基本的人権は、他人にではなく、国家に請求すべきものなのです。

えっと思う人もいるでしょう。たとえば人格権の一部を構成するプライバシーの権利が侵害されれば、侵害者に文句を言うじゃないかと。違います。プライバシー保護のための実力行使を統治権力に請求できることを威嚇の根拠にして、私たちは侵害者に文句を言うわけです。

もう一つの例です。憲法は男女差別を禁止しますが、これも統治権力への命令です。国民に対する命令は、憲法ではなく、あくまで法律です。男女雇用機会均等法のように法律が規定してやっと、私企業の男女差別は違法になります。-/-

では、殺人罪はどうでしょう。日本の法律は「人を殺せばこれこれの刑罰に処される」という規定の仕方で、加害者・被害者が外国人であっても日本国内でのさつじんを禁止していますが(属地主義)、これは国民に対する命令で、国家に対する命令ではありません。

私が誰かに人殺しを命じて人が死ねば殺人罪ですが、国家が人殺しを命じても殺人罪に問われない。だから、戦争や死刑は合法なのです。(ただし命令といっても、厳密には先に述べたように、それに違反すると司法権力が呼び出されるぞというガイドラインです。)

いずれにしても、国民相手の命令である法律に違反して人を殺すと、被害を受けた当事者が復讐する代わりに、司法権力が発動して、成敗されます。但し司法権力は勝手に動けず、憲法からの命令に服する(ことで立法権力からの命令である法律にもしたがう)分けです。

日本の憲法は、政治権力に、国民の生命と安全を保障するように命じています。だから殺人や障害を禁止する法律を立法することは、統治権力の義務になります。そしてこの法律を基礎に、私たちは自力救済の代わりに、司法権力の呼び出し線を使うわけなのです。

23

私が討論番組などで「他の先進国のように、買売春を合法化しろ」と主張すると、よく「人に迷惑をかけなければ何をしてもいいというのか !」などと叫ばれます。が、「その通り !」というしかありません。それが成熟社会における近代法の常識だからです。

24

「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」、それが近代法の理念です。ですが「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」と思って生きるかどうかは、その人個人の問題です。「何をしてもいい」と思わなくちゃいけないなどということは、一切ありません。

これを難しくは「法律と道徳の分離」といいます。人が何を良かれと思って生きるかは、道徳の問題です。道徳には、個人道徳(=倫理)もあれば、共同体道徳(=狭義の道徳)もあります。法律は、道徳とは別もので、多くの場合、法律は道徳よりも緩いのです。

なぜでしょうか。先ほども言ったように、立法権力が作った法律は、私たちにとっては司法権力を呼び出すためのガイドラインであり、立法権力・司法権力を含めた統治権力は、私たちの最大の自由を保障するべきことを憲法によって命令されているからです。

言いかえれば、法律が侵害されているからという理由で統治権力が動くのは構わないが、道徳に反しているからという理由で動いてはならないということです。道徳は個人や時代によって多様で、こんなものでいちいち統治権力に動かれたのでは、たまりません。

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