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与太郎戦記

書誌

author春風亭柳昇
publisherちくま文庫
year2005
price780+tax
isbn4-480-42069-X

目次

1感想
2抄録

履歴

editor唯野
2020.1.26読了
2020.3.23公開
2020.4.7修正

戦後に落語家となった人の太平洋戦争の従軍記。乗っていた船が沈められたり、中国ではケガを負って入院するなど、兵隊になるときから敗戦を迎えるまでの時期を一通り扱っている。

戦争に伴う悲惨さなどよりも、そういう中での滑稽さが前面に出ており、古参兵となって楽をした下りなどは、結局のところ戦争をするのも人間であり、それ以上のものではないことがよく分かる。また、玉音放送もよく聞こえなかった辺りなど、現場の兵隊にとってはそんなものだったという逆の意味でのリアルさがある。「自分だけは死なない」という楽観さが結局はよかったのかどうか不明だが、これもまた貴重な戦争体験を伝えていると思う。

抄録

4

昭和十六年の二月、私は現役兵として、東京赤坂の東部第六十二部隊(歩兵第百一連隊第一機関銃中隊)に入隊しました。そしてそのまま、三年間は内地におりまして、戦地に行くこともなく、天下晴れて除隊……と思っていましたが、どっこい世の中はそう甘くはありませんでした。

私たちの部隊は中国大陸に渡ることになりました。

そして、帝国陸軍の最後を飾った現役兵の精鋭として、誇りを胸に戦いましたが、哀しくも可笑しい数々の物語を残して、戦いは終わりました。

戦争責任、そんなことは私にはわかりません。兵隊は日本でも、アメリカ、ソ連でも、みんな命令により戦場に送られ、「お国のために」と思って戦い、死んでゆきました。兵隊さんには罪はないのです。

16

その時分は、男は、徴兵検査をすませて、はじめて一人前、つまり成年と見なされたもンである。だから、徴兵検査は男子一生のうちの重要な儀式であった。-/-

17

昔は〝徴兵懲役一字のちがい〟……なんていって、毛嫌いされたそうだが、私の時分は、軍国PRも行き届いていて、甲種合格者は〝家門の誉れ〟と、胸を張って歩き、第一、第二乙種までが、合格入営ライン、丙種、丁種の不合格者は、近所の手前も面目なくて、シッポを垂れるように、コソコソ歩いたものである。

もっとも、支那事変も手をひろげすぎて、泥沼に落ちこみ、靖国神社行き要員は、何ぼあっても足りないくらいで、私のころは、合格基準も大幅にゆるめられてもきたし、甲種合格のねうちも、だいぶ値下がりしていた。-/-

20-21

当時は府中町に遊郭があり、壮丁の中には検査場からそこへ直行し、一人前の成年として、晴れて、も一つ男子の儀式を行う者もあった。-/-

30-31

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